惚れた女のために芸を捨てる---
川口の描く一流の「人情」ドラマ
川口松太郎Vol.2

vol.1はこちらをご覧ください。

 昭和十年七月、川口松太郎は『鶴八鶴次郎』、『風流深川唄』、『明治一代女』で、第一回直木賞を受賞した。

 複数の作品での受賞は近頃はないが、芥川賞でも安岡章太郎と吉行淳之介は、複数の作品で賞をとっている。

 松太郎を第一回受賞者にした『鶴八鶴次郎』は新内語りのコンビの話。鶴八が三味線を弾き、鶴次郎が太夫として語る。大変な人気で、二人が寄席に出ると芝居が不入りになるので「八町饑饉」と渾名がついている。

 鶴八は先代鶴八の一人娘で二代目と呼ばれ、無口な鶴次郎は先代の弟子だった。

 二人とも芸に熱心なことでは引けをとらないが、熱心がすぎて往々、喧嘩腰になってしまう。

 「『お互いに芸は研究だ。俺が斯う思うと云うところと、お前が思うところとを打ちあけ合って工夫をするのが研究じゃねえか』/『いくら研究でも、腑に落ちなけりゃア聞かれません』/『無理に聞けと云うんじゃねえや、スベタ奴!』/業を煮やして鶴次郎がどなると、/『何云やがんでえ、名人面するな』/女らしくもない伝法な声で鶴八も負けずに相手を罵った」

 罵りあっては仲直りをする二人の転機は、鶴八の縁談だった。先代から世話になっている、上野山下の金持、伊予善の末息子(松崎敬二)が、鶴八を嫁に欲しいというのだ。鶴次郎は慌てて自分の胸のうちを明かし、鶴八を引き留める。けれど鶴八が鶴次郎の念願である寄席を造らせたくて、松崎に金の工面を頼んだため、二人の仲はこじれ、コンビは解消し鶴八は松崎に片付いてしまう。

 一人、残された鶴次郎は呑めない酒に浸り、芸は荒み、場末の席にも出られない。

 見かねた舞台番、佐平は鶴八を訪ねて、鶴次郎と有楽座の名人会に出てくれ、と頼む。

 名人会は大成功を収め、鶴八は鶴次郎と再び組んだ事で、芸への情熱が蘇る。

 「『本当に、本当に私は松崎と別れようよ』(中略)『帝劇へでも寄席へでも何処へでも出ようよ、次郎さん』」

「まだ三流作家だ」と菊池寛は断じた

 鶴八の想いを知った鶴次郎は、千秋楽が終わった後、鶴八の三味線を酷評し、罵る。鶴八は激怒して、夫の元に戻っていく。

 鶴八が去った後、佐平がどうしてあんな台詞を吐いたのだ、と鶴次郎を問い詰める。

 「『折角、松崎と云う立派な御亭主を持って、黙っていれば生涯奥様と呼ばれてくらせる身の上の鶴八だ。女に取ってこれ以上の出世はねえ、芸や、人気が何になる。盛りの短い目先の欲で、可愛い女の生涯を踏みつける事は出来ねえ』/『・・・』/『お前も知っているだろう、俺はお豊の外には女に惚れた事が一度もねえ、つまらねえ口喧嘩から、別れ別れになってはいても、俺はいまだにお豊に惚れている。芸が拙いと云ったのも、覚悟の上で仕組んだ芝居だ。あいつはもう生涯、舞台へは出なかろう。松崎の奥様で幸福に死ぬだろう。それが何よりだ。何よりの出世だ。佐平---お前、そうは思わねえか』/『・・・』/『そう思ってはくれねえか』/『うん』/かすかに佐平はうなずいて、短冊型のテーブルに目を落しながら、/『判ったよ』と、小さい声でつぶやいた。/『六日間の名人会が俺と鶴八の死に花だ。俺はそれで本望なんだ。どうせ俺一人じゃア竹野も構っちゃアくれなかろう。が、ナーニ、流しをしたって食うには困らねえ、女とちがって男一匹だ、佐平』/きらりと光った涙を右手の甲になすりつけると、/『不景気な面アするな、飲みねえ、さ、ぐっとあけて・・・姐さん、熱い奴を二本ばかり、かためて持って来てくれ』/『飲もう、次郎さん』/『だからよ、今夜は景気よく飲みつぶれだ。明日は明日の風が吹くよ---姐さん、この辺へは好い女の法界屋でも流して来ねえか』/『新内の流しなら来ますけれど・・・』/『新内はいけねえ、あいつは俺は大嫌えだ、お前も嫌えだったな』/『見るのもいやだ』/『ふ、ふ、ふ、ふ、ふ』『はっはっはっはっ』」

 惚れた女の幸福のために、自らを埋れ木にする男の姿は、まさしく松太郎一流の「人情」ドラマの典型だろう。芸にのみ打ち込んできた男が、最も大事であるはずの芸を捨てて、女の幸せを寿ぐドラマは、今日においても読者の胸を激しく撃つ。

日比谷公会堂 日比谷公会堂(東京・千代田区)で、川口は記念すべき第1回直木賞を受賞した

 松太郎は、大阪のプラトン社に勤務していた頃、直木三十五と深くつきあっていた。

 「大阪生活中は毎日直木と顔を合わせ、一緒に散歩もしたし、古本屋も冷やかしたり住んでいる家へも遊びに行った。彼は東京時代からの借金がついてまわって家の中には家具というものがない。買えば執達吏が来て競売にされてしまう。営業用具は例外なので机、筆、墨、書籍等は持ち去られない。原稿を書く時はGペンと称する古風なペンで小さい文字を早く書く。さらさらさらさらと実に早い書き方で書き上っても読み返すことをしない。時によると意味不明な箇所も出て来るが平気だった。そんな訳で机とペンとインク壺と本だけはあるが、座布団もない。見るに見かねて座布団五枚を買って私の名を書いて借りものの形を取った。借りた品は競売出来ないので座布団は当分重宝していたようだ」(『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬこと』)

 松太郎は、直木に「お前はいい編集者だが作家としては大成しない」と云われたという。

 その言葉が、松太郎をして発奮させ、小説家として大成してやろう、という意欲を燃え立たせたのだった。

 「それだけに第一回直木賞を受けたことは嬉しさもあったが、幾分直木にはすまない気もした。/その時の私は作家として売り出しかけていて、原稿の注文も相当あったので、/『川口は新人ではない、もう有名になっている。今更賞を与える必要はない』/という意見が多かったらしい。初期の直木賞委員は菊池寛を初めとして、久米正雄、吉川英治、佐佐木茂索等そうそうたる大家ばかりで、私への授賞には反対者が多かったと聞く。その時に菊池寛が、/『川口は既に売り出しているが今はまだ三流作家だ。ここで直木賞を与えれば一流になれる。その意味で十分授賞の価値がある』」(同前)

 「まだ三流作家だ」と平気で断じる菊池寛の率直さと真情の凄さ。

「週刊現代」2012年3月10日号より

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