東京五輪にあわせて開業した、東海道新幹線の「想い出」
東京駅Vol.5

vol.4 はこちらをご覧ください。

 東京駅の特権的地位は、東海道新幹線の開通によって、いよいよ揺るがないものになった。

 新幹線は、東京オリンピックの開催にあわせて昭和三十九年十月一日に開業した。

 私は当時四歳だった。オリンピックには何の関心もなかったが、新幹線は興味津々だった。

 最初に新幹線に乗ったのは、五歳前後だったと思う。アルバムを繰ると、車窓にへばりつく私がいる。父がオリンパスペンで撮ってくれた。

新幹線開業 '64年10月、東京駅で東海道新幹線(「夢の超特急」ひかり号)の出発式が行われた

 戦後を代表するバイ・プレーヤーにして、ジャズと推理小説のマニア、色川武大、田中小実昌と並ぶゴールデン街のカリスマライターである殿山泰司も、ほぼ私と同じ時期に---昭和四十年二月---新幹線に乗っている。

「2月のある日、東京駅午後4時発超特急《ひかり号》の一等車に乗る。/1等でも2等でもどっちでもよかったのであるが、向うの会社が一等の切符を買ったのである。しかしオレは、周囲のお客が冷いから、2等より1等のほうが好きである。三文役者でも気を遣わんと坐ってられる。

 とに角ノリモノに乗ってて、アイツ役者やなんて言われるのが一番ツライねん。カタギの人には判ってもらえんやろな、この気持。/午後4時になったら定刻通りに発車しやがった。アナウンスが聞こえてきて、この電車の次の停車駅は新名古屋でございますと言いやがる。

 名古屋しか止まらんのは大変エエけど、これは電車かいな。なんや電車なんて言われると、ヤスモンみたいでかなわんわ。電気で走ってんだから電車に違いないけど。/(中略)オレの友達の桑山正一が、新幹線てのは船の如く揺れるぞなんて言ってたけど、それほど揺れない。オレが揺れるモノに強いから不感症なのかな。

 どんなに揺れても無事故で、3時間半で京都まで行ってくれたらエエわ。/ビュッフェと言うもんに行ってみたろかな。8号車やから隣がビュッフェや。食堂車のキライな人がニッポンには多いらしいけど、オレは食堂車が無いと困るわ。/とに角糖尿やから、砂糖をうんと使って味付けしたような汽車弁は食えないし、勿論うなぎ丼や寿司も食えない。もっとも3時間ちょっとなら、何も食わんかて死ぬこともないがね」

殿山泰司が感じた食堂車の「スリル」

「ギネスというアルコールの少ない飲み物と、コールドビーフを注文する。片側は窓に向って椅子が置いてあるけど、立って飲み食いしたほうがイキだよな。/この超特急のビュッフェは帝国ホテルの経営である。帝国ホテルと聞いただけで一寸安心する。オカシナもんだな。

 オレは別に帝国ホテルへ泊ったことがあるわけじゃないけど、何んとなく安心するというのは、これはやっぱり名前だな。/名前てものは大切なもんであると、ツマラヌことを思ったりする。/ビュッフェの壁にある速度計が200のとこをさしている。ギネスの小さなビンが時々スルスルと動く。やっぱり凄いスピードなんだな。

 コールドビーフを食うのはそれほど不便ではない。ナイフを動かしてるうちに、皿が動いて、何もないとこを切ってるというような事はない。/時々パチャンとコップの割れる音がする。普通の食堂車よりコップなんか余計に割れるかも知れないな」(『三文役者の無責任放言録』)

 殿山節全開だが、開通当初のディテールが盛り込まれていて興味深い。たとえば、当時「ひかり」は新横浜には止まらなかった。だから「次の停車駅は新名古屋」となっているわけだ。一等、二等という区分も当時のものだし---「グリーン車」という呼称は昭和四十四年から---、「ひかり」が、京都まで三時間だったこともわかる。ビュッフェを帝国ホテルが運営しているのも---そしてビュッフェに速度計があったことも---東京オリンピックを背景とした、国威発揚のためなのだろうか。

 私は車中でハンバーグを食べた記憶があるのだが---それが初回の時だったかどうかは確信が持てない---それも帝国ホテルのものだったか。弁当だったのか。

 一番、惹かれるのは、ビュッフェのメニューにギネスとコールドビーフが登場していること。かなりハイカラな品ぞろえである。

 そして食堂車で、コップが割れるという話も面白い。

 幼年期の記憶だからあてにはならないけれども、子供雑誌などでは、新幹線はスピードが速いのに、静かで、振動も少ない、という事が強調されていた。たしかに、滑らかに走っていたと思う。だが、殿山の記述によれば、加速のためか振動のためか知らないけれど、食堂車でコップが割れたりしているのだから、それなりの「スリル」はあったのかもしれない。

 俳優だから、内外いろいろな場所にロケなどで行くのは当たり前だけれど、殿山は映画、テレビと関係なしに、一人で全国各地の色町、遊郭を歩いている。『三文役者のニッポンひとり旅』新潟十四番町編では、七十と六十の婦人にビールをふるまっていると、二人が「よく似てるなア」と云いだす。

「『おいオレがダレに似てるんだい』/『お客さんよ、やっぱり頭のハゲた人だったわア』/『頭がハゲてりゃみんな似てるのか』/『そうじゃないけど、そのヒトも一人でふらりッと入ってきて、面白いことばかりいっとったよ、なア』/『うん、唄の好きな人よ、あれで、そうよなア、ヒトリで三時間も唄っとったかねエ』と六十がいう。/『あの人は小説を書くヒトだってエ、帰りがけにそういっとったがねエ』七十がいった。

 えッ!! 酒飲みで頭がハゲて唄が大好きで小説を書く。それやったら田中小実さんじゃねえか。小実さん以外にそんな人をオレは知らない。/『おいおいオネエサンがたよ』/『オネエサンなんていわれると、おらアどうにもならねえだア』と六十がいって二人でヒクヒクと笑う。/『おい笑ってる場合じゃないよ、そのヒトはな、田中小実昌っていわなかったか』/『あッ田中さんだア、そうだ田中さんよ、ねエおかあさん』/『田中さんだ、うん、まちがいねエ、あんなに唄ばっかり唄うお客さんは、この店ではじめてだア』/やっぱり小実さんだ!!/『おいそそそのヒトはいつきたんだッ』/『ええと、あれは、おととい、いや三日前だな』と七十」

 いつもゴールデン街でつるんでいる二人がよりにもよって場末の酒場に時間差で辿りついてしまう、という構図がたまらなく可笑しい。

「週刊現代」2012年2月25日号より

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