プロスポーツ選手たちの「苦悩の日々」この孤独と不安に耐えられますか 己の才能の限界、予期せぬケガ、ライバルの活躍、短い選手生活、社会性のなさ

 学生時代から、「夢」のために体と心を鍛え、技を磨く。皮肉なことに、それに比例して、酷使されてきた肉体に巨大な負担がかかっていく。覚悟があっただけ、森は救われたかもしれない。

誰のせいでもないから

 プロゴルファー・羽川豊(54歳)に起きた異変は、何の前触れもなく現れた。そのため、覚悟を決める余裕さえも、羽川には与えられなかった。

 '00年、日本プロゴルフ選手権への出場を最後に、羽川は日本ツアーから姿を消してしまう。彼は突如、パット時に手が硬直して動かなくなる、「イップス」に悩まされはじめたのだ。そして羽川は、この試合を最後にクラブを置かざるをえなくなった。

 羽川はかつて「日本最高のレフティー」といわれる逸材だった。

 自宅がゴルフ練習場を営んでいたという羽川が本格的にゴルフを始めたのは高1の時。高校入学とほぼ同時に、目覚めたように、毎日帰宅後6時間、約7000球の打ち込みを、誰に言われるでもなく始めた。

 本人は、「他の人が一生かかって打つ量を高校の3年間で打ってしまった」

 と豪語する。

 専修大学卒業後の'80年に、羽川は当時のプロテスト新記録となる8アンダーで合格し、翌'81年には日本オープンを制してしまう。

 だが、その頃すでに落とし穴が大きな口を開けていた。

「たとえばティーショットを打つ時、ギャラリーに声を掛けられてスイングが一瞬止まったとする。ゴルフというのは、それだけでスランプに陥り、生涯成績が大きく左右されるほど繊細なスポーツなんです。そういうことに、プロに入ってから気付かされた」

 羽川の歯車が大きく狂い始めたのは、'82年のマスターズに招待選手として参加した頃からだった。

「アメリカに行って、自分より上の選手を見てしまった。飛ばそうと思って力任せに振って崩れた。するとOBが怖い。3パットが怖い。負の連鎖に落ち込むと、這い上がる気力を保つことさえ難しくなる」

 復調のきっかけも掴めないまま'84年にシード落ちしてしまう。試行錯誤を続け、'91年まで優勝から遠ざかった。

 そして'00年にイップスを発症して以降、羽川はツアーを離れた。プライベートのラウンドには出てみるが、パターはどうしても打てなかった。