敗戦後の廃墟を車窓に見せて走る「潰走列車」の、臨場感
東京駅Vol.4

vol.3 はこちらをご覧ください。

 宮本百合子は、終戦を郡山の祖母の家で識った。百合子は、網走刑務所で服役中の夫、宮本顕治の近くに行こうと計画したが、顕治の弟が広島で被爆したらしいと聞き、岩国へと向うことにした。その旅を描いたのが小説『播州平野』である。

 終戦直後の鉄道事情が混乱を極めた事は、よく知られている。宮本百合子の筆は、みずからが遠方へと移動する当事者であるという視点を把みながら、あらゆる価値が転倒したかにみえる敗戦の巷として鉄道の旅を描いている。

 「ひろ子は、乗り合わせたこの列車が、ただの列車でなかったことを知った。これは明らかに一種の潰走列車である。/斜隣りの海軍士官がどこかへ立って行って帰って暫くすると、再び車掌が入って来た。荷物をまたぎまたぎ来て、その若い士官の横に立った。/『じゃ二百八十三円頂きます』/大股をひらいて座席にかけたままむっとした面持で、蒼い顔の若い士官は大きい紙幣入れをひらき、新しい十円札をつかみ出すようにして車掌に渡した。

 その代りとして紙片がかえされた。/『これで事務が片づきましたから申しますが、さっきの雑言は、あれは、どういうわけです』/ぎごちなく神経のこわばった若い士官は、こんな情況になることとは予想もしなかったらしく、剣相な上眼づかいで、低く何か答えた。/『生意気だ、気にくわんとおっしゃるが、私のどこに生意気な挙動がありました。不正乗車をしているのは貴方です。私は車掌として事務をとっただけじゃないですか。ひとこと罵倒でもしましたか。じき手続をして上げますと云っただけじゃありませんか』/言葉にもつまるという激昂で、車掌は青年士官を睨まえた。

 士官の方も、もう一ヵ月前ならばと文字に読まれる形相で睨み上げている。その面上につばきするように車掌が云い捨てた。/『あなたのようなのが軍人だから、日本は潰れたんだ!』/ひろ子は、どちらの顔も見ていられなかった。/その若い士官の前には、襟章をもいだ制服の陸軍将校がかけていた。となりには、東北のどこかの大きい軍需会社が解散して、東京へ還る途中らしい国防服だが、重役風の男がいる。

 ひろ子の真前にいるのも陸軍の古参将校で、制服の襟章がはぎとられている。/騒動がしずまって見渡した車室は、網棚から通路から座席の間まで詰めに詰めた大荷物で、乗っているのは男ばかりであった。何かの角度で、軍と関係があったと見える風体の男ばかりであった。女と云えば、ひろ子のほかには子供づれの細君が一人乗り合わしているきりである」

「女どうしの愛は所詮はかないものよ」

 混乱をいい事に、無銭で二等車にのろうとする士官、筋を通そうとする車掌。襟章をとった古参将校。軍人がもちこんだ大荷物。女がほとんどいない車両、といったディティールが臨場感をもって描かれている。その迫力の源泉は百合子自身が抱いていた不安に他なるまい。

 なんとか東京についた百合子は、下関行きの急行に乗り換え岩国へと向かう。

 「一日に一本出る下関行下り急行が東京駅の鉄骨だけがやっとのこっている円屋根の下を出発してから、見て来た沿線の景色は、それを景色だと云えただろうか。京浜はもとより、急行列車が停るほどの市街地は、熱海をのぞいてほとんど一つあまさず廃墟であった。

 田舎らしい緑の耕地、山野、鉄橋の架った大きい河、それらの間を走って、旅めいた心持になる間もなく、次から次と廃墟がつづいてあらわれた。/はじめのうち、乗客たちは、/『いや、これはひどい。東京ばかりのように思っていたが、どうして、どうして』/のび上って眺めたりしていた。半日近くも同じような廃墟の間を走りつづけて来た今、旅客はこの反覆される光景に馴れ冷淡になってしまった。/(中略)ひろ子は時計をもっていなかった。時刻の見当もつかない上、どこまで来ても窓からみる景物のくりかえしは同じだものだから一向東京から出切っていないような、ちぐはぐな目ざめ心地である」

 東海道沿線の惨状以外にも、片足をうしなった軍人の不安、朝鮮人の若者たちのコーラスなど敗戦後の風物が活写されている。

 宮本(中條)百合子は、建築家の中條精一郎の娘として生まれた。母は明六社の設立メンバーである西村茂樹の娘、葭江である。典型的な特権階級の生まれといってもいいだろう。

 十七歳で書いた小説『貧しき人々の群』が、坪内逍遥の推薦により『中央公論』に掲載され、天才少女と謳われた。十九歳で父と渡米。十五歳年上の東洋語研究科の荒木茂と結婚した。

 帰国後離婚し、チェーホフの翻訳で知られる湯浅芳子と出会い、同棲する。芳子もまた京都の富裕な商家の娘だった。二人はソ連に留学し、三年間同地ですごした。その生活は畢生の大作『道標』に活写されている。

 百合子と芳子は、いわゆる同性愛の関係にあった。その関係は、九歳年下の宮本顕治が登場する事によって壊れる。

宮本百合子 日本共産党元委員長・宮本顕治の妻で作家の百合子は、レズビアンでもあった

 「『女どうしの愛っていうのは所詮はかないものよ。女は結局、男が出来れば、そっちの方がよくなってしまう。百合子でさえね(中略)あの時、百合子は病気してたのよ。それで私は京都に用があって、百合子を残して一人で京都へ来たの、京極にいい漢方の薬の店があって、そこで百合子のために漢方薬をいっぱい買いこんだのよ。

 漢方薬はあの頃は、葉っぱをそのまま乾したようなものが多くて、とてもかさばるものなんよ。それで私が大風呂敷を二つ、自分の旅行の荷物の外にぶら下げて、東京駅にたどりついたの。いつでも私が旅に出た時は、百合子が駅へ迎えに来ていた。それなのに、その日にかぎって百合子の姿がプラットホームに見えないじゃない。

 私はてっきり、百合子の病気が重くなって、迎えにも来られないんだと思って心配でたまらず、円タクをとばして帰っていった・・・そしたら、玄関に男の靴があって、顕治が来ていたの。私は顕治を張りとばして、泥棒猫出て行きやがれって追い出してしまった。後で百合子もさんざんぶってやった。それから間もなくよ、百合子が出ていったのは』」(瀬戸内寂聴『孤高の人』)

 当時、芳子と百合子は軽井沢に居を構えていた。芳子は、靴を全部隠してしまった。百合子は、はだしで宮本のところに走ったという。

 ある視角からみれば、湯浅芳子は、顕治や百合子よりも、興味深い人物だと云えるかもしれない。瀬戸内氏の筆はその魅力を尽くしているし、沢部ひとみ氏による伝記『百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春』もある。

「週刊現代」2012年2月18日号より

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら