栴檀は双葉より芳し?監督たちに聞く
少年野球時代 彼らはすでに天才だったのか

ダルビッシュ 田中将大 中村剛也 坂本勇人 松田宣浩ほか

 ノリとノブに大きな才能の差があったとは思わない。ただノブは、あのメンバーの中で誰よりも、ミスを恐れない明るさと積極性を持っていた。そして結果を出せた。あの『前向きさ』は異端だったよ」

 兄・教明氏の才能は、弟に大きく劣っていたわけではない。松田持ち前の積極性とガッツが、彼をプロの一線級選手へと押し上げた。教明氏は弟と共に進学した中京高で活躍後、トヨタ自動車野球部に進み、すでに現役を引退している。

ここで止まれば、ここで消える

 強打者たちが軒並み統一球に苦しんだ昨季、セ・リーグ2位の本塁打23本、同3位の85打点を挙げる活躍をみせ、ヤクルトの4番打者として遅咲きの花を咲かせた畠山和洋(29歳)。彼もまた、中学生になるとその打球は異次元の飛距離を誇った。

 当然のように畠山が通った花巻市湯口中学校のグラウンドには、いまも「畠山ネット」なるネットが設置されている。

 ところがネットの設置は、「当時の畠山の打撃に大砲らしからぬ変化を起こした」と、当時、野球部監督だった吉田靖雅氏は語る。

「彼が2年の時にネットを張ったんですが、途端にフルスイングをせず、小手先で、流し打ちをするようになった。大きな打球を打ってはいけないと思ったんでしょう。私は彼に大きく育ってほしいと思っていたので、すぐに止めさせましたが、流し打ちをする彼の器用さには驚きました。まるで落合博満さんみたいに、バットを内側から出し、うまくライト方向に球を飛ばすんです」

 豪快さと繊細さを併せ持つ打棒は、「今思うと彼の性格を表すようでもあった」と吉田氏は言う。

 5人しかいなかった畠山の代が、中学最後の大会に臨む時の話だ。一人だけ、いつもギリギリで公式戦のメンバーから漏れている3年生がいた。

「普段、無愛想でガキ大将タイプだった畠山は彼に対しても容赦なく『下手くそ』『やめてしまえ』と言っていたんです。それが大会前に、『彼を使ってほしい』と私に言って来たんです」

 畠山は、この同級生のことをいつも気にかけていたのだろう。そんな不器用な優しさと人間的な懐の深さが、彼の野球人生を支えている。

 現役23年。昨季のリーグ制覇の立て役者である中日ドラゴンズの名捕手・谷繁元信(41歳)もまた、「天才野球少年」の名をほしいままにした。その「天才」ぶりを少年野球チーム『東城ストロングボーイズ』で谷繁と一緒にプレーしていた桑原大輔氏が証言する。

「私たちが育ったのは東城町(現・広島県庄原市)という小さな町でしたが、町で野球といえば、すぐに谷繁さんの名前が出るほどの有名人でした」

 小学6年時には、県内の関係者に名が知れ渡り、広島商業高校の監督がわざわざ谷繁のプレーを見学にやってきたほどだ。当時は内野手。東城中学進学後も、非凡な打撃で注目された。