戦後の危難から鉄道は復活する。
そして生まれた松本清張の「傑作」
東京駅Vol.2

vol.1 はこちらをご覧ください。

 敗戦後、国鉄はさまざまな危難に見舞われた。

 全国津々浦々に復員列車を運行する一方、進駐軍の人員、物資を運ぶ特別列車を走らせ---進駐軍用客車は白のストライプが引かれており、その家族、軍属がただで利用できる列車は「イエローボール」と呼ばれていた---復員が落ち着くと、在来線は買い出し客で破裂しそうになっていた。

 国鉄は、街にあふれた失業者たちを救済するため、積極的に職員を採用した。大量雇用は、社会の安定、特に輸送活動の活発化に寄与したが、就労人員が増大していくにつれ左傾化が指摘されるようになった。GHQは、国鉄に人員削減を要求し、特に左翼と目された職員の集団解雇を命じた。いわゆるレッドパージである。

 占領当初、労働組合の結成をうながすなど、リベラルな政策をとっていた進駐軍は、ソ連の脅威の下、逆コースに舵をきり、旧軍の将校たちをスタッフとして雇用するようになった。

 こうした情勢の下で起きたのが、下山事件、三鷹事件、松川事件といった未解決事件である。

『点と線』の持つ、異次元の時の感覚

 とはいえ、着実に国鉄は立ち直っていった。

 東京駅は、その主役であった。

 八重洲口の乗降を円滑にするため、昭和二十二年に外堀埋立工事が行われた。その跡が外堀通りである。翌年、八重洲口庁舎が完成している。

 特筆すべきは、二十八年、自由通路の完成だろう。それまでは呉服橋か鍛冶橋を経由するか、入場券を購入しないと丸の内から八重洲へといけなかったが、百メートル近い通路の開通でまさしく行き来が「自由」になったのである。

 列車の運行も回復した。

 昭和十九年四月、「富士」の運行が停止されていた東京-大阪の特急が、二十四年九月に「へいわ」として運行が再開されている。

 電化も進んでゆく。昭和二十四年に東海道線は浜松まで電化され、二十八年には名古屋、三十一年には大阪、と東海道が完全に電化された。

 松本清張の代表作の一つ---この作家は夥しいほどの代表作をもっている---『点と線』は、国鉄の、あるいは交通の復活を背景とした傑作と云うことが出来るだろう。経済が発展していくなかで、人々の移動ははげしくなるとともに複雑に多様になる。津々浦々の目的地へ、いろいろな手段で向かっていく。鉄道のみならず、市電、航空機、連絡船のネットワークとダイヤグラムを立体的に組み合わせた、画期的な作品と云うことができるだろう。

レバンテ 『点と線』の舞台となるレストラン。現在は東京国際フォーラム(千代田区)にある

 機械工具商の安田は、経済官僚を毎日のように赤坂「小雪」でもてなしている。高度経済成長の初期で、官僚と政商の癒着は激しかった。

 ある日、普段は女中たちを誘ったりしない安田が、二人の女中に声をかける。「じゃ、明日、三時半に、有楽町のレバンテにこいよ」。

 翌日、レバンテ、コックドールと梯子した後、安田は、東京駅まで見送りしてくれ、と頼む。女中たちは御馳走された手前、断ることは出来ない。

 横須賀線のホーム(十三番線)にあがると、まだ電車が入っていない。

 十四番ホームにも列車の姿はなく、一番、八重洲側の十五番線に列車がとまっている。特急「あさかぜ」だ。

「『あれは、九州の博多行の特急だよ。あさかぜ号だ』/安田は、女二人にそう教えた。/列車の前には、乗客や見送りの人が動いていた。あわただしい旅情のようなものが、すでに向い側のホームにはただよっていた。/このとき、安田は、/『おや』/と言った。/『あれは、お時さんじゃないか?』/え、と二人の女は目をむいた。

 安田の指さす方向に瞳を集めた。/『あら、ほんとうだ。お時さんだわ』/と、八重子が声を上げた。十五番線の人ごみの中を、たしかにお時さんが歩いていた。その他所行の支度といい、手に持ったトランクといい、その列車に乗る乗客の一人に違いなかった。とみ子もやっとそれを見つけて、/『まあ、お時さんが!』/と言った。(中略)しかし、もっと彼女たちに意外だったことは、そのお時さんが、傍の若い男と親しそうに何か話していることだった。

 その男の横顔は、彼女たちに見おぼえがなかった。彼は黒っぽいオーバーを着て、これも手に小型のスーツケースをさげている。二人は、ホームの人の群の間を、見えたり隠れたりして、ちらちらしながら列車の後部の方に向って歩いていた。(中略)『どんな男か、あのホームまで行って窓からのぞいてやるわ』/八重子がはずんだ声で言った。/『よせ、よせ。他人のことは放っとくものだ』/安田が言った。/『ああら、ヤーさん、妬かないの?』/『妬くものか。おれもこれから女房に会いに行くんだ』/安田は笑った」

 あまりにも有名な、目撃者を仕立てるシーンであるが、こうしたトリックが成立する、トリックとして読者に受け入れられたのも、鉄道の、交通の殷賑があったからだろう。

 前段で『点と線』を、「ネットワークとダイヤグラムを組み合わせた画期的作品」と評したが、テキストとしても、立体的な構造をもっている。そのもっとも端的なあらわれは、作品の中での書簡の多用だろう。小説的叙述とは異質な、手紙という体裁ならではの真情の吐露をおこなっている。

 同時にめまぐるしいダイヤグラムの時間とは次元を別にする時の感覚が刻まれていることにも、留意すべきだろう。

 清張は、小説に留まらず、広い領域で執筆活動をしている。そのなかでも、瞠目すべきは、現代史、同時代史への視線だろう。『日本の黒い霧』を端緒として、『昭和史発掘』に結実する業績は、まさしく現代史の嚆矢というべき威容を誇っているものだろう。

 今日、現代史は、一つのジャンルとして定着し、夥しい数の著作が、毎週、毎日、出版されている。最新の資料を駆使して執筆された、水準の高い著述も少なくない。

 現在の目から見ると、例えば、二・二六事件についての清張の記述は、資料的な限界を露呈しているといわざるをえないだろう。とはいえ、それはまったく時代的制約にすぎないのであって、当時、参照し得るすべての資料を用い、貴重な資料を自ら購っておこなった発掘は、いまだに畏怖を惹き起こす。さらには『二・二六事件研究資料』全三巻を編纂し、出版した意気には、頭を垂れるしかない。

「週刊現代」2012年2月4日号より

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