二宮清純レポート
中日ドラゴンズ・捕手谷繁元信
落合博満前監督から学んだこと

週刊現代 プロフィール

「わかった、わかった。もう落ち着け」

 須藤は一部始終を聞いて谷繁をなだめ、その場をおさめた。事の是非はともかく、彼の一本気な性格がうかがい知れるエピソードである。

すべては「観察」から始まる

 この頃、谷繁にはありがたくないニックネームがつけられていた。

 ミスター・パンパース。ひらたく言えば"おしめ男"だ。名づけ親は須藤。未熟なリードに対する叱咤激励の意味が込められていた。

 キャッチャーとしての転機は大矢明彦との出会いである。横浜は'93年、ヤクルトで6度のダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)に輝いた名捕手をバッテリーコーチに招いた。「おむつが必要」と揶揄されたキャッチャーを大矢はどのようにして育てたのか。

「当時、セ・リーグ1のキャッチャーと呼ばれていたのがヤクルトの古田敦也。何とか、このクラスまで成長させてやりたいと思っていました。

 課題はリードでした。これを磨くには観察から始めなくてはならない。そう思って、こんなアドバイスをしました。

 たとえば球場までの車の運転。信号が赤だと、次の信号はどうなるか。また赤になる確率が高いとなれば、ひとつ手前で曲がり、赤信号にひっかからないように球場まで行ってみる。

 どうってことないと思うかもしれませんが、先を読むトレーニングはどこだってできるんです。ちょっとした工夫で予測能力がどんどん高まっていく。同時に試合の流れも読めるようになっていったんです」

 大矢の指導の甲斐あって'93年には114試合、'94年には129試合に出場。レギュラーの座を確保した。

 しかし、谷繁には不満があった。試合の終盤になるとベンチに引っ込められてしまうのだ。クローザー佐々木主浩の信頼を得ることができなかったのである。

「そりゃ悔しかったですよ。僕が(終盤まで)ゲームをつくってきたのに、最後の最後で秋元宏作さんに代えられてしまうんですから……」

 ある日、谷繁は意を決して佐々木に訊ねた。

「なんで僕じゃダメなんですか?」

 大魔神は顔色ひとつ変えずに答えた。

「オマエよりも秋元の方がオレは安心して投げられるんだよ」

「じゃあ全部止めれば使ってくれるんですか?」