ベン・ジョンソンはいまも怒っていた
あの人はいま オリンピック選手篇

カール・ルイス セルゲイ・ブブカ 大古誠司 宗兄弟 森下広一 塚田真希ほか
週刊現代 プロフィール

がんが進行して脳にも転移してしまったので、最後はあまり会話もできない状態だった。本人は『なんとかもう一度(監督に)復帰したい』と思っていたんですが・・・・・・。最期に『ダメだ』と一言呟いたのを思い出します」

'95年3月、佐々木は52歳の若さで永眠する。浅井の初優勝から、わずか1年後だった。

金じゃなくてごめんなさい

佐々木が亡くなった年齢と同じ歳になった浅井は、市民ランナーとしていまも毎日走っている。

「先日のホノルルマラソンのタイムが3時間52分。『そんなに遅くていいんですか』と言う人もいる。いいんです。走ることは私の一部。タイムが遅くてもフルマラソンを走り続けたいと思っています」

佐々木が浅井に授けたのが「LSD(ロング・スロウ・ディスタンス=時間をかけてゆっくり長い距離を走る)」という理論だった。その理論を受け継ぎ、後進のランナーたちに伝えていくのが、残された自分の使命だと浅井は言う。

かつて日本が世界のトップに君臨していた競技がある。バレーボールだ。

「世界の大砲」大古誠司(63歳)はアタッカーとしてオリンピックに3大会連続で出場し、'68年メキシコで銀、'72年ミュンヘンで金、'76年モントリオールで4位の成績を収めた。

「'10年9月まで5年半、沖縄での高校総体に向けたバレーボール強化のため、同県の協会から求められて赴任していました。子供たちに教えるのも有意義だけど、個人的にやりがいを感じたのは『ママさんバレー』を指導することでした。

小学生、中学生、高校生とインターハイを目指す子供たちの育成に手を貸すかたわら、夜は地元のお母さんたちと一緒に練習していたんです」

現役引退後はサントリーの監督を務め、'92年のバルセロナ五輪では全日本男子監督としてチームを6位入賞に導いた大古が、ママさんバレーに付き合っているとは意外な気もする。

「僕はもう、サントリーというチームを卒業した人間だから。後輩の荻野(正二)が監督をやってるわけだし、僕なんかがウロウロしても迷惑でしょ(笑)。

バレーボールの職業病であるヒザや右腕にはガタがきてますが、いまでもレシーバーが構えているところに正確に打ったりはできるので、お母さん方の相手をするくらいがちょうどいいんです。若い男子の強化を手伝うよりね」

Vリーグの監督や、ましてや日本代表の監督などにはもう興味がないという。

「酒飲みなんです(笑)。だから飲み続けるための体調を維持していたい。お母さん方のお付き合いをして適度に汗を流したり、ウォーキングしたりするのが、現在の僕の健康法です。