ベン・ジョンソンはいまも怒っていた
あの人はいま オリンピック選手篇

カール・ルイス セルゲイ・ブブカ 大古誠司 宗兄弟 森下広一 塚田真希ほか
週刊現代 プロフィール

これは指導者にもあてはまります。有名な選手を育てている監督さんは、口を揃えて『我慢と忍耐だ』と言いますから。赤ちゃんを怒る時みたいに、カチンときても一回グッと呑み込んで我慢する。12年監督やってきて、ようやくできるようになったかな(笑)」

森下を指導者へと導いたのは、現役時代所属していた旭化成陸上部の監督(当時)、宗茂だった。

宗茂、宗猛と言えば、'70年代後半から'80年代前半にかけ、文字通り男子マラソン界のトップを走った双子ランナーだ。ライバルだった瀬古利彦とともに「ビッグ3」と称されることもあった。

58歳になった宗茂が本誌に語る。

「私たち兄弟のマラソンについては、やはり瀬古の存在を抜きに語ることはできません。『俺たちの住む延岡(宮崎県)が雨でも、瀬古が住む東京は晴れている。それなら今頃、瀬古は走っているに違いない』と走り込んだものです。

自分たちが現役だった時代は他の選手の情報が入ってこなかったので、瀬古がどんな練習をしているのか、関心というか恐怖心がありました。瀬古は我々より多く練習しているかもしれない。その瀬古に勝つためには、瀬古以上に練習するしかない。見えない敵に対してライバル心を持って練習していたし、それがあったからこそ私たち兄弟は育っていった」

伝説となっているレースがある。'79年12月の福岡国際。翌年のモスクワオリンピック代表選考を兼ねていたこのマラソンで、宗兄弟と瀬古は最後の競技場トラックで壮絶なつばぜり合いを繰り広げた(結果は瀬古が優勝、茂が2位、猛が3位)。

現在、旭化成陸上部の監督を務める猛が振り返る。

「瀬古、伊藤国光、喜多秀喜・・・・・・、同年代で競い合った選手たちは、対宗兄弟となると異様に燃えていましたね。彼らに会うといまだに『宗さんたちには負けたくなかった』と口を揃えますから。我々の時代は今のようにペースメーカーがいなかったのですが、瀬古は『僕にとっては宗兄弟がペースメーカーでした』と言うんです。僕らが先行して瀬古が後ろにつく、というのがいつものパターンでしたからね」

ずっと後ろについて最後にかわす。一部マラソンファンをして「瀬古はセコい」と言わしめた戦法だ。

兄弟で優勝を争ったレースが4回あるが、そのすべてを茂が制している。

茂「普段は兄という意識はなかったが、優勝争いとなると、弟には絶対に負けたくなかった」

猛「私は、兄貴に負けて2位ならいいかな、と思っていました」

茂は'05年に陸上部の監督を弟に譲って気功の研究を始め、'08年に延岡市内に「気功健康塾」を立ち上げた。これまで1000人以上に施術しているという。