ベン・ジョンソンはいまも怒っていた
あの人はいま オリンピック選手篇

カール・ルイス セルゲイ・ブブカ 大古誠司 宗兄弟 森下広一 塚田真希ほか
週刊現代 プロフィール

パーカー・スクールは私立の受験校で、水泳チームがあるにはあるが、プールがない。かつて水中のスーパースターとして世界中を興奮させたビオンディは、この平和な環境であと10年ほど数学を教え、ひっそり引退したいと語る。

過去の栄光にしがみついて離れられない---このビオンディの言葉には含蓄がある。それは引退した選手だけではなく、現役を続行した選手にも当てはまる。

'92年バルセロナオリンピック男子マラソンで銀メダルを獲得した森下広一もそうだった。

44歳になった現在、トヨタ自動車九州陸上部監督を務める森下が述懐する。

「バルセロナの後、僕は強かった時の自分をずっとイメージしていて、それで失敗したんですよ。この時期だったらこういう練習をこなさなきゃならない、でもそれができなくてイライラして、プチッと気持ちが切れて練習をやらなくなったり。その繰り返しでした。
しかも周囲からはちやほやされる。『森下を食事に連れてきた』と言うと相手に喜ばれるような時期で、僕もそういう誘いを断ればいいのに断らなかった。

それで体調を崩していって、スタミナがつかず練習に集中できないという悪循環を招く。水泳の北島康介がすごいなと思うのはそこですよね。オリンピックで2度勝つというのは本当に難しい。ある苦しい段階をもう一回、練習で乗り越えなきゃいけないとわかっているけど、知っているからこそ怖くてやれない。『この体調じゃ無理だ』と諦めに走ってしまう」

要は、強い自分のイメージを捨て切れなかったのが原因だと、森下は言う。

「本当は土台からもう一度ちゃんと造っていかなくちゃいけないのに、その土台を造らず、山の中腹くらいのレベルならいつでも走れるよと思っていて、そこを目指す。目指すけれどやっぱりダメで、どんどん目立たなくなって、それでも『森下ならこれくらい走るだろうね』と期待もされる。

そうした内面の問題、周囲の環境をうまく処理しきれなかった自分が弱かったなと思います」

今頃、瀬古は走っている・・・

こうした苦悩を味わったからこそ、選手に伝えられることがある。

森下は昨年、教え子との哀しい別れを体験した。元トヨタ自動車九州所属で、北京五輪の男子マラソン金メダリスト、サムエル・ワンジル選手(ケニア)が自宅の2階から転落して亡くなったのだ。

ワンジルは北京で優勝した時に、森下から叩き込まれた「我慢」という言葉を勝因に挙げた。

「ワンジルは本当に日本人ぽい選手だったから。苦しいから我慢するだけじゃないんですよ。ここで先に行きたいんだけど、まだ行く時じゃないと思ったら、我慢しなきゃいけない。そういう我慢もあるんです。