【番外編4】清盛の度重なる「熊野詣」は何のため?---徳川幕府も気づいていた! 和歌山に隠された「3つの財産」

 昨年末に発売された書籍版『経営者・平清盛の失敗』は、皆様のおかげで現在も好調な売れ行きです。ありがとうございます。

 大河ドラマも始まりましたので、ドラマをより楽しむためにご覧いただければ嬉しいです。

(1月16日(月)に、本書のトークショーが東京・三省堂書店神保町本店で行われます。詳しくはこちら)

 さて、書籍版には掲載できなかった「番外編」も、今週で4つ目のテーマとなりました。今回の舞台は和歌山県です。

「熊野詣」盛況の理由

 平清盛が生きていた平安時代末期、世間で最も多くの信仰を集めていたのが「熊野三山(くまのさんざん)」です。

 熊野三山は、和歌山県南部に点在する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三つの神社の総称で、日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社です。

 また、高野山、吉野・大峯とともに世界遺産にも登録されています。

 もともと古代から自然崇拝の地であった熊野ですが、平安時代後期からさらに信仰が盛り上がります。

 それは、世間に末法思想が広まり、人々の浄土への憧れが強まる中で、広大な照葉樹林の森や"那智の滝"などの荘厳な滝を有する熊野の地が浄土と見なされるようになったからです。

 この聖地・熊野三山に参詣することを「熊野詣(くまのもうで)」といいます。
当時、京都から熊野にいたる熊野街道は人々であふれかえり、その列が途切れない様子はまるでアリの行列のようであったことから「蟻の熊野詣」と称されるほどでした。

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