特別読み物 大切に育てたから、いまがある
この親にしてこのプロ野球選手
おかわりくん 栗原 唐川 今江 館山 平野 東出

週刊現代 プロフィール

「その一言で『おれをあんまり欲しそうじゃなかった』なんて言いよるんですよ。『熱心じゃない』と。結局断りました」(薫さん)

 薫さんの携帯には、試合に負けたときだけ平野から電話がかかってくる。

「『俺の防御率いくつになった』みたいなことを電話してきて、『あそこで打たれたのは、俺のせいやない』と、わざわざ弁解するんですよ(笑)」

 誉められ続けた男は、強烈な負けじ魂を手に入れた。

 ヤクルトの右のエース、館山昌平(30歳)は、父親に野球をすることを反対されていたという。

「坊主が野球をやるのには反対でした。というより、勘弁してくれと(笑)」

 いまも館山を「坊主」呼ばわりするのは、父親の和雄氏。母・圭子さんが教師をしていたため、在宅で図面製作を請け負っていた和雄氏が、平日の子供たちの送迎を行っていた。

「土日くらいはゆっくりさせてくれと(笑)」(和雄氏)

 しかしどうしても野球をしたかった館山は、両親を起こさぬよう、そっと寝床からはい出して、早朝練習に駆けつけた。

 実際、両親は小学校時代の館山の試合をほとんど見たことがない。

「いまは後悔してます。ちゃんと追いかけていたらよかった」(圭子さん)

 両親の影響か、館山は一筋縄ではいかない性格に育った。

「試合に負けてもケロっとして、『悔しくないの』と聞いても『別に』とまったく表情に出さない。かと思うと、相手チームの選手を『あいつは、すごい奴だ』と仲良くなってしまう。不思議でしたね」(和雄氏)

 和雄氏は一度だけ、日大藤沢高時代の館山に、アドバイスを送ったことがある。

「当時のチームには鳴り物入りの投手がたくさんいて、とても坊主の出る幕はなかった。だから捕手の先輩が怪我をしたとき、『キャッチャーになったら』と言ったんです」

 だが館山の返事は「別に出られなくてもいいんだ」というものだった。

「坊主は試合に出るために野球をやってるわけじゃなかったんですね。ただうまくなりたかったんですよ」

 物言わぬ息子の真意は、両親でも読み解くのが難しかった。圭子さんは、プロ入り後は
「インタビューを読んで初めて知ることが多い」と語る。

「子供の頃、彼にピアノを教えていたんですよ。単にピアノを弾ける子にしたくて。才能はあったんですよ。すぐ弾けるようになったから、私も力が入って」