特別読み物 大切に育てたから、いまがある
この親にしてこのプロ野球選手
おかわりくん 栗原 唐川 今江 館山 平野 東出

週刊現代 プロフィール

 重一氏が続ける。

「それほどの情熱が、あの頃からあいつにはあったんですね。めったに誉めないんですが、まあ自慢の息子ですよ」

 1月2日、中村は毎年この日に自主トレを始める。家族とともに実家近くのグラウンドで軽く汗を流す。実はこれ、小学校時代から続く慣例だ。父の視線の先には、いつも「おかわりくん」の姿があった。

 '02年3月、唐川義明氏は、小学校卒業を迎えたわが子が、壇上で答辞を読み上げる姿に見入っていた。

「大きな声で堂々と答辞を述べる息子の姿に鳥肌が立った。あとで観たら録画したビデオ映像がぶれちゃってたよ(笑)」

 息子の名は侑己(22歳)。「努力すれば夢が叶う」という願いを込めて名づけられた少年は、'08年にドラフト1位でロッテに入団。今季12勝を挙げ、押しも押されもせぬエースへと成長した。

「控えめな、ほわっとした子でね。プロ野球選手になるなんて、親はまったく思ってなかったんですよ」

 息子と同じ大きな優しい目を細めながら、母・澄枝さんが語る。

 ほんの一握りの者だけに許された職業=プロ野球選手。それを手にするまでの18年間を、唐川は両親と過ごした。

「プロ野球選手・唐川侑己」は、親に「育てられた」のか、それとも勝手に「育った」のか。親は、どのようにして息子の夢にかかわってきたのだろう。

息子のためにフォームを研究

 幼い頃の唐川にとって、野球とは父・義明氏とのキャッチボールのことだった。当時を思い出すと、澄枝さんの頬はついつい緩む。

「毎日、グラブを片手にお父さんが仕事から帰ってくるのを家の前で待っていました。本当に嬉しそうな顔をしているんです」

 唐川は以前、澄枝さんに「僕ほど庶民派の野球選手はいない」と話したことがある。「確かに、誰と比べても野球のためにかけたお金は少ないでしょうね。小学校のときに入っていたチーム(成少フォックス)は、月謝1000円ぽっきりでしたから(笑)」(澄枝さん)

 しかし、小学校にあがるとき、すぐに「チームに入りたい」と言い出した唐川を、両親は彼が3年生になるまで我慢させている。創立20年で県大会未出場、所属選手9人という当時のフォックスの弱小ぶりが原因だったわけではない。

 義明氏が明かす。

「私、幼い頃に野球をあきらめているんだよ。毎日毎日、自己流で力いっぱい投げていたせいで、肘や肩がおかしくなっちゃって」