福原義春 第4回「『マッカーサーが探した男』、あれをなぜNHKがドラマ化しないのかしら」

島地 勝彦 プロフィール

瀬尾 福原さんは書道もなさるんですか。

シマジ いやいや。福原さんの達筆というのは、普通の人はなかなか読めない独特の癖をもった典雅な書体なんですよね。

福原 そうお、ぼくはちゃんと書いているつもりですがね。

シマジ 長い長いサラリーマン生活で大変だったのは、どの時期ですか。

福原 海外部長シセイドウ・アメリカの社長として、ニューヨークに資生堂が進出したあとのことでときでしょうか。まだ1ドル360円の時代ですから大変でした。戦勝国で敗戦国の化粧品を売るのは至難の業です。それに本社から資金が送られてこない。現地採用のアメリカ人には週給で払っていましたが、ぼくは自分の給料を半年くらいはもらっていませんでした。ちょうどニューヨーク万博のあと資生堂は進出したんです。ぼくも若かったしよく働きました。

シマジ パリへの本格進出は福原さんが社長になってから目覚ましいものがありましたね。パリの街のなかで、資生堂の横文字の看板を沢山みました。何か日本人として嬉しくなった記憶があります。

福原 そうお。それは有り難いお話です。そうだ、残念だけどそろそろ次のアポの時刻が迫ってきたようです。今のようなことは全部『ぼくの複線人生』に書きました。

瀬尾 では最後にもう一杯ネスプレッソをいかがですか。

福原 いただきましょう。

シマジ 本日はどうも有り難う御座いました。