「全品三百円」
低価格居酒屋から見る平成の居酒屋事情

 山手線の御徒町と秋葉原の間のガード下に、「さんまる」という、居酒屋がある。「ある」と書いたけれど、実際にはあるかどうか、確信はない。しばらく行ってないからだ。行っていない理由は、後で書く。

激安居酒屋この平成年間、「全品○○円」といった売り文句の均一価格の居酒屋が急増した

「さんまる」という店名は、飲み物、つまみ、うどん類等が、すべて三百円均一だと云うことに由来するらしい。

 三百円でも、メンチカツは大きかったし、肉豆腐とうどんはたっぷりで、ホッピーは、濃くて三杯呑んだら倒れてしまいそうな案配だった。

 けれども、「さんまる」に通っていたのは、価格や料理の魅力のためではなかった。当時、「さんまる」は、三百六十五日、二十四時間営業だったのである。祝日だろうと、正月だろうと、とにかく御徒町まで行けば、いつでも酒が呑める、というのが何といっても魅力だったのである。

 けれど、一昨年の三月頃、午前五時ぐらいに行ったら、シャッターが閉まっていた。少しして、やはり朝方、再訪したら閉まっていた。それ以来行っていない。こう書くと薄情なようだが、酒呑み、とにかくその日、その時、確実に、切実に呑みたいと思うようなタイプの酒呑みとは、そんなものである。やはり、酒場は「信頼」が大事なのだ(何か大仰な話になってしまったが)・・・。

「均一」の居酒屋が、いつの間にか軒を並べていた

 しばらくして町中に、「さんまる」のような業態の居酒屋が、目につくようになってきた。似たような、と云っても二十四時間営業の方ではなくて、三百円均一の方である。入った事はないけれど、二百九十円とか、二百七十円といった値段が表示されている。

「さんまる流が、普及してきたのか」と思っている間に、今ではどこの商店街にでも、均一の居酒屋が軒を並べるようになった。

 ふと、考えた。もしかして、「さんまる」は、大手チェーンがひたひたと同業態で進出してくる、その気配を感じていたのではないか、と。

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『エコノミスト』平成二十二年一月十九日号によると、均一価格を謳う低価格居酒屋の先駆けは、大阪の「鳥貴族」だという。

「じゃんぼ焼き鳥」で知られる「鳥貴族」は、大手焼き鳥チェーンで修業した大倉忠司社長が昭和六十年に近鉄大阪線の俊徳道駅の駅前に開いた、わずか九坪の店だったという。

 隣の長瀬駅には、近畿大学があり、同大の学生を見込んでの出店だった。以後、「鳥貴族」は、積極的に二等立地に出店を行ってゆく。売上高に占める家賃比率を下げ、そのぶん食材を良くするというのが、同社の創業以来の戦略だという。

 当初、百五十円、二百五十円、三百五十円という、三つの価格帯だったが、開店した翌年に、二百五十円均一にした。これが大当たりになって、客が押し寄せてくるようになったという。

 その後、料理約七十品、飲み物五十品すべてを二百八十円として、急成長していった。現在は大阪、兵庫を中心に、フランチャイズを含めて百五十五店を展開、昨年七月期の売上高経常利益率六・三パーセントと、他の大手チェーンより二~三パーセント高い。

 関東では大手による均一店の展開は遅く、平成十七年のコロワイド社による「うまいもん酒場 えこひいき」で、料理七十品、飲み物六十~百品を二百九十円で提供している。同店は本年三月末までに、四十店舗を展開するという。

 こうした流れは、低価格路線と一線を画してきた、大手をも動かしている。最大手のモンテローザは、「白木屋」、「魚民」といった全国約千六百店舗のうち、不振店百五十店舗を、二百七十円、二百八十円、三百円均一の店にした。同社の展開する「268円厨房うちくる」は、業界最安値で、波紋を呼んでいる。

「月の雫」など、比較的客単価の高いチェーンを展開してきた、三光マーケティングフーズは、昨年五月、「東方見聞録」池袋店を、「全品300円居酒屋 金の蔵Jr.」に衣替えした。その結果、客数は三、四割増え、売り上げは倍増したという。

 その結果を踏まえて同社は、二百七十円、二百九十円、二百九十九円、三百円の四つの均一価格の店に八十一店舗を衣替え、あるいは新規出店した。

 三光マーケティングフーズは、売上高経常利益率十パーセントを数期にわたって維持している。常識的に考えれば、ここまで大胆な業態変容の必要はないように思われるが、『エコノミスト』の取材にたいして、同社の社長は「リーマン・ショック後のデフレ不況は右肩下がりが前提。今後、客単価2000円前後の店でないと生き残れない」と語ったという。

 もともと勝ち組だった、三光マーケティングフーズが、低価格に転換したショックは、かなり大きいものだったらしい。同社が低価格店を出店した地域は、二割前後売り上げが落ちた店もあったという。

 東証一部上場を果たしている大手四社もこの流れに抗うことが出来ず、養老乃瀧が「一軒め酒場」、「天狗」を展開しているテンアライドが「テング酒場」、ワタミが「わたみん家」、大庄が「ジョン万次郎Ⅱ世」、「鳥キング」などを開店させた。

 日本フードサービス協会の統計によると、日本全国の居酒屋の売り上げは、昨年十二月まで、十二ヵ月連続で前年割れだという。なかなか成長が見込めないなかでの、価格競争がどれほど熾烈なものであるか、想像して余りある。

 介護施設や農業に参入しているワタミのCEO、渡邉美樹氏は、「一五年後、ワタミグループの主役になるのは農業と環境事業だろう」(『週刊ダイヤモンド』平成二十一年一月十七日号)と語っている。今年、ワタミの経常利益に外食産業が占める比率は、五割以下になると計画されている。

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 御徒町の居酒屋に話を戻す。「さんまる」に行かなくなっても、実はたいして困らなかったのは、「たる松」があるから。アメ横の「たる松」といえば、ガード下のが有名だけど、実は二筋離れたところにも店があって、ここの方が広いし、居心地がいい。樽酒の種類も、こっちの店の方がおおいんじゃないかしら。気のせいかもしれないが。

 ここが素晴らしい、というか恐ろしいのは、朝八時から呑めること。かなりしっかりした居酒屋が、である。だから、早朝まで新宿か築地あたりで呑んでいて、店仕舞いになったらここに来ればいい。酒は枡で呑めるし、料理は旨いし、アメ横価格だし―三百円じゃないよ―云うことがない。とはいえ、一種の後ろ暗さはあるけれど。

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