『ウルトラ』シリーズ、『傷だらけの天使』『太陽にほえろ!』『黄金の日日』『山河燃ゆ』・・・ 追悼市川森一さん「定説を破り続けた」ホン書き人生

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 太平洋戦争が開戦した '41 年に長崎県諫早市に生まれた市川さんは、地元の小学校を卒業後、鎮西学院中等部(同市)に進み、演劇部に所属する。同級生で当時からの親友である山口哲生さんは、市川さんの才能の片鱗について、こう語る。

「いつも仲間の輪の中心にいるタイプで、部のリーダー格でしたね。3年生の時、ドイツ童話の『みつばちマーヤの冒険』の演出を、彼が初めて手がけたんです。それが好評だったので、クリスマス前には刑務所や老人ホームを回って慰問公演しました。受刑者の中には、涙を流して感動する人もいたほどです」

 その頃から脚本家になるのを夢見ていた市川さんは、地元の諫早高校を卒業後、日大藝術学部の映画学科に進学。3歳年下で、現在は鎮西学院の学長を務める森泰一郎氏が、青春時代を回想する。

「市川さんとは同じ学生寮で暮らしたんですが、当時のあの人はTBSでADのアルバイトに明け暮れていました。帰宅が深夜になることもザラでしたが、毎晩必ずシナリオを書いてから寝るんです。書き溜めた"ホン"が、1年でダンボール箱10個分になったほどでした」

 ところが、あちこちのテレビ局や制作会社にプロットを持ち込むものの、いっこうに採用されない。「このままでは田舎に帰るしかない」と追い詰められた24歳の夏、市川さんは"常識破り"の手段でチャンスを手繰り寄せる。円谷プロが制作し、日本テレビが放送する予定だった子供向け特撮作品『快獣ブースカ』の企画書を、日テレのプロデューサーの机から盗んでしまうのだ。それを熟読し、キャラクターを把握すると、プロットを書き上げ円谷プロに持ち込んだ。すると当時の脚本家の目に留まり、「1本(脚本を)書いてくれ」と発注を受け、後はトントン拍子。いつしか『ブースカ』のメインライターの座に収まっていた。

"型破り"ゆえの光と影

 脚本家として身を立てた市川さんは、次なる願いを叶えるべく動き出す。当時の円谷プロの看板作品は、視聴率40%超えが当たり前の『ウルトラマン』だった。"特撮の神様"円谷英二社長の指揮の下、"鬼才"実相寺昭雄監督(ともに故人)などが腕を振るう『ウルトラ』シリーズの制作陣を羨望のまなざしで見ていた市川さんは、念願叶い、シリーズ次作の『ウルトラセブン』に起用される。『セブン』でシナリオを7本手がけると、その4年後に放送された『ウルトラマンA』ではメインライターを務めることになる。

 ここで市川さんは、男子児童向け作品においては、およそ考えつかないであろうアイデアを出す。主人公の男女二人が合体して一人のヒーローになるという"男女合体変身"だ。主人公コンビの一人、南夕子隊員役を演じた女優の星光子氏(62)はこう語る。

「特に印象に残っているのは『A』の14話です。戦闘機に乗って宇宙を飛んでいる男性主人公と、地球の司令室にいる私が、モニターごしに指を合わせてAに変身するというシーンがあったんです。合体変身という設定を最大限に生かした演出だと感心しました」

 だが、あまりに斬新すぎた"男女合体変身"のアイデアは、当時の子供たちからは「ヒーローごっこの時にマネしづらい」と不評を買ってしまう。結局、南夕子隊員は本編から"途中退場"することとなった。メインライターを任されたはずの市川さんも、脚本を担当する機会が激減し、再登板したのは番組が終了する直前だった。その最終回の劇中で市川さんは地球を離れるAに、子供たちに向けて、こう語らせている。

「優しさを失わないでくれ。(中略)たとえ、その気持ちが何百回、裏切られようとも。それが私の最後の願いだ・・・」