米寿を超えたマスターがいる天然記念物みたいなバーがあると聞き、ライター肥田木奈々と編集Yさんが調査を開始。平日夜、池上駅に降り立った。本門寺通り商店会にひっそりと佇む店は、年季の入った石造りの外観だ。
編集Y(以下Y)「シ、シブい」
本当に営業してるの? 思い切ってドアを開ける。
肥田木(以下肥)「こんばんは」
シーン。カウンターだけの店内は昭和の雰囲気が漂う。誰も見当たらず、聞こえるのはテレビの音だけ。もう一度叫ぶ。
肥「こんばんはっ~!」
シーン。おそるおそるのぞき込むと、コの字型カウンター席の隅でテレビに見入っている後ろ姿が見えた。店に入り、肩を軽く叩くと、やっと振り返ってくれた。
マスター(以下マ)「おおっと、いらっしゃいませ」
マスターは、お歳を召されてはいるがバンダナを巻いた粋なお姿。温厚な笑顔で迎えてくれた。席に落ち着き、メニューを見る。
Y「ハイボールが300円!」
肥「安い! マスター、つまみは何がおすすめですか?」
マ「うちはピザが名物。ソースも生地も私の手作りなんですよ」
登場したピザ(800円)は、ふっくらした生地に野菜などを煮込んだソースがたっぷり。たしかにこれは旨い!
マ「ね、美味しいでしょう。生姜やニンニク、タマネギなどいろいろな素材を刻んで入れたソースなんです。他の料理も私が研究して考えたものなんですよ」
ふと店内を見渡すと、バンドマンが数人写ったモノクロ写真が。
マ「実は私も写ってるんです。浜口庫之助って知ってます?」
Y「『黄色いさくらんぼ』『バラが咲いた』とか、数々のヒット曲を生み出した人ですよね」
マスターは、その作曲家の浜口さんと「アフロクバーノ」というバンドを結成するなど、華やかな舞台で活動したベースマン。
マ「いろいろな歌手とステージを共にしてね」
マスターはゆっくりとハイボールを作りながら話を続けた。挙がってきた名前は、越路吹雪、朝丘雪路、力道山、美空ひばり……そうそうたる大物。ここでは書けないような芸能界のアブナイ裏話も飛び出し、あまりの面白さにミーハーな私たちの瞳はキラッキラ。ハイボールが、進む進む。
マ「実は妻は日劇ダンシングチーム出身。たまに店に出ますよ」
ていうか、マスター夫妻って、いったい、おいくつ?
マ「私はもうすぐ90。妻は8歳ほど下かな」
ということは二人とも80代。ぜひ奥様にもお会いしたい。後日、改めて取材を申し込んで訪れた。
自由雲(じゅん)は創業54年。マスターの平野重太郎さん(89歳)は戦後まもなくハワイアンバンドなどを組み、ベースマンとして日劇などのステージで活動。昭和28年ごろに浜口庫之助とバンドを結成した。NHK紅白歌合戦にも出場したことがある。妻の俊子さん(81歳)は、元日劇ダンシングチームの出身だ。
―バンド時代は、どんな歌手と共演しましたか?
重太郎さん(以下重)「越路吹雪さんが多いかな。彼女が出るとステージが引き締まったね。仕事で一緒に大阪に行ったときは、夜行列車で朝着いて、すぐに美味しいステーキ屋に連れていってもらったりしましたよ。」
―力道山もご存じなんですか?
重「力道山は白いオープンカーに美空ひばりさんを乗せて、銀座のナイトクラブによく遊びに来ていました。我々の伴奏でひばりさんがジャズを歌うんです。彼女の歌は最高だった。浜口が〝力道山マンボー〟なんてオリジナル曲を作っていて、力道山が来ると、この曲で盛り上げたりしてね」
―俊子さんは、元日劇ダンシングチームで活躍されたとか?
俊子さん(以下俊)「7年ほど毎日ステージに出ていました。まだ9歳ぐらいのひばりちゃんが、楽屋に遊びに来たりしてましたよ」
―店はいつごろから?
重「ステージ仕事と並行して昭和31年頃に始めました」
俊「最初はバーテンダーもいて、私も店に出てました。最近は、たまに来るぐらいですね」
―100歳まであと少しですね。いつまでも続けてほしいです。
重「店はもうすぐ創業55年。まだまだ頑張りますよ」