消えたプロ野球選手「あれからの人生」 輝きは一瞬だったかもしれない。しかし、確かにあの時、輝いたのだ・・・

週刊現代 プロフィール

 もう一人は、「父のように尊敬していた」という近鉄時代の恩師、故・西本幸雄氏である。

 西本氏との出会いをマニエルは、「監督が選手に敬意を払って接する姿に心打たれた」と話している。

 そして時を経て、フィリーズの球団関係者は、監督マニエルをこのように評す。
「チャーリーは選手に恥ずかしい思いを絶対にさせない。フィールドでもフィールド外でも、チームを全力で守ってくれるんだ」

 だからメジャーでは選手として実績らしい実績のないマニエルも、選手からの信頼がとても厚い。

 以前赤鬼は、自らの監督像を、「日本での経験に裏打ちされたもの」と語っている。そしてこう続けた。

「いまではヒロオカのやり方も少しは理解できるよ。性格は合わないけどね」

「赤鬼」の中には、今も日本が生きているのだ。

縁の下の力持ち 玄人好みの選手たち

「お化け」

 ヤクルトの野村克也監督(当時)は、突如打者の視界から消えるその魔球をこう呼んだ。

 '87年阪神の1位指名で入団した熊本県立多良木高校のエース・野田浩司(現在43歳)の決め球、フォークボールのことだ。野田は鋭く落ちる「お化け」フォークで三振の山を築き、オリックスへ移籍後の'95年には、ロッテ相手に1試合19奪三振の日本記録を達成。オリックスのV2にも貢献した。

 その後、右肘故障に泣き、'00年に現役引退。野球解説などを経て、オリックスの投手コーチに就任したが、わずか1年でユニフォームを脱いでいた。

「コーチ業には強い興味がありました。でも、1年やってみて、これは自分には合わないと思った。コーチというのは組織の歯車で、なかなか自分の仕事が結果として現れない。結果がすべて数字に出る選手とはまるで違う。

 僕は成功も失敗もすべて自己責任という、白黒ハッキリした世界が好きなんだと気づきました」

あの頃が一番楽しかった

 そんな野田が選んだ仕事は料理店のオーナーだ。