消えたプロ野球選手「あれからの人生」 輝きは一瞬だったかもしれない。しかし、確かにあの時、輝いたのだ・・・

週刊現代 プロフィール

 '95年引退したブライアントは現在、悠々自適の生活を送っている。

「以前はテクノロジー関係の会社でマーケティングの仕事をしてたんだが、今はそれも辞めて、何もやってないよ。毎日、のんびりと暮らしているんだ」

 だが、プライベートでのブライアントは、いまもパワフルだった。

「実は元妻と15年前に離婚したあと、恋人が3人できてね。彼女たちそれぞれが、僕の子供を産んでくれたんだよ。一番上が15歳の娘、次が9歳の息子、そして2歳の息子がいる。オー・マイ・ゴッドでしょ(笑)。別にモテるってわけじゃないけどね」

 現在、ブライアントは3人目の恋人(38歳)と2歳の息子と同居している。

「彼女は勤めているんで、息子の世話はもっぱら僕なんだ。おむつを交換したり、離乳食を作ったりね」

 前出ホーナーの入団から遡ること11年、ヤクルトには元祖「赤鬼」、チャーリー・マニエル(現在67歳)の姿があった。彼にとって日本での経験は、「人生を大きく変えるものだった」と言う。

 マニエルは現在、ナショナル・リーグの強豪、フィラデルフィア・フィリーズの監督を務めている。

「『赤鬼』のニックネームはフィリーズでも知られていて、選手からは『レッド・デビル』なんて呼ばれていますよ」(スポーツライター・杉浦大介氏)

 '08年にチームを28年ぶりのワールドシリーズ制覇に導いたマニエルは、杉浦氏にこんな話をしている。

「(現役時代)アメリカにいたときは、指導者になるなんて考えもしなかった。日本で他人を信頼すること、助け合うことの素晴らしさを知った。そして監督という選択肢が生まれたんだ」

 '76年に来日し、ヤクルト、近鉄を渡り歩いたマニエルは、本塁打王2回、打点王1回と活躍。6年間で189本もの本塁打を放ち、弱小だった2球団を、いずれもリーグ初優勝に導いた。

 マニエルは当時、二人の対照的な監督の元でプレーしている。一人は、'76~'78年のヤクルト時代に師事した、広岡達朗氏である。

「規律」と「機動力」を最重要視する広岡監督と、「打撃」に特化した巨砲の関係は良好とは言えず、幾度も衝突を繰り返した。

「ヒロオカはあえて選手を怒らせる。その意図が私には理解できなかった」