消えたプロ野球選手「あれからの人生」 輝きは一瞬だったかもしれない。しかし、確かにあの時、輝いたのだ・・・

週刊現代 プロフィール

「僕が現役の頃、外国人枠は2人だけ。『チームに郭がいないとダメだ』と思われるように、必死で努力しました」

 転機は'88年。セ・リーグMVPを獲得するなど、キャリアの絶頂期を迎える裏で、郭氏は交通事故で弟を喪う。彼は引退後の人生を考えるようになった。

「引退後は、『家族が集える温かい飲食店』をつくろうと思った。いつしかそれが夢になり目標になった」

 翌年には日本への帰化も果たし、引退後も日本に住むことをおぼろげに決めた。

「日本人が好きなんですよ。初めはとっつきにくいけど、お酒が入ると少しずつ本音を話してくれる。それがとても楽しいんです(笑)」

 郭は今日も店に立ち、大好きな日本人とのおしゃべりを楽しんでいる。ちなみに、郭源治の息子は佳久創という、7人制ラグビーの日本代表だ。

若い恋人との間に子供ができた

 消えたように、姿をくらましてしまった選手もいる。阪神歴代の助っ人外国人の中でも最強クラスのスラッガー、ウィリー・カークランド(現在77歳)は爪楊枝をくわえてプレーする姿から、「紋次郎」というニックネームでも知られた。

 '68年に来日すると、いきなり37本塁打を記録し、以後6年間猛虎の4番として君臨。'69年8月14日の1イニング2本塁打をはじめ、胸のすくような大アーチを数多く放った。

 '73年に阪神を退団し、引退すると、本家タイガースの本拠地デトロイトに移住。野球選手としてのキャリアを捨て、自動車メーカーのGM社に整備員として就職する。およそ20年後の'91年、雑誌の取材に答えた57歳のカークランドは独身で「結婚相手を探している」と語っていた。その後GM関連会社のガードマンなどをして暮らしていたという。

 そしてまた20年の時が流れた。GMは'09年経営破綻した。だがカークランドはいまもデトロイトに住み、沈黙を守る。

 今回本誌も取材を申し込んだが、何度電話をかけても本人に「また今度」と返され、最後までコメントはもらえなかった。

 同様に連絡を謝絶されたのが、「赤鬼」として知られるボブ・ホーナー(現在54歳)だ。ヤクルトに加入したのは'87年。前年までアトランタ・ブレーブスで4番を務めた当時現役の大リーガーであった。

 ホーナーはこの年93試合で31本塁打と、驚異的な数字を残し、「ホーナー・ショック」という言葉まで生んだ。