稼ぎと名声を得た妻を見て、
所在なき夫の心は離れてゆく---
佐多稲子Vol.7

vol.6はこちらをご覧ください。

 昭和十一年一月から、佐多稲子は『婦人公論』で『くれない』の連載を開始した。『くれない』は、夫である窪川鶴次郎が二年間の服役中、女手で家計を支えてきた稲子が、夫の出所後にあじわわざるを得なかった違和感、ある種の喪失感が主題となっている。

 「広介が一昨年の暮、刑務所から帰って家の中に自分の坐る場所がない、という意味のことをつくづく言ったことがあった。明子もまたそれに似たような気持を感じたのである。家の中はすっかり広介の生活によって占領されている感じであった。客と話している広介の、高く熱した声がする。自分の部屋が掃除してない、と言って女中を叱っている広介の声がする。客と連れ立って外へ出てゆく広介の足音がする。

 自分の仕事に勢い込んでいる広介の、まっ直ぐに伸びた身体つき、仕事部屋は新しい本が積まれてゆく。自分の仕事の計画を明子にも語って聞かせるのであったが、明子はそれを一緒に喜んで、彼の計画を元気づける余裕を持たなかった。/広介が、刑務所から帰って、明子の部屋を見て、へえ、なかなか立派な部屋だね、と言い、自分の坐る場所を見出し得なかったのは、実際に、坐る場所のない感じであったが、勿論これはどちらも多かれ少なかれ通じているものではあったが、明子の場合には、単に坐る場所がなくなったということではなくて、家の中の重心が広介にすっかり移っている感じなのであった。

 それには作家としての明子の生活の根本が侵蝕されてゆくような不安が伴っているのであった。(中略)明子は泣きたい思いで、暗く黙りこくる日が多くなった。(中略)『どうです。仕事は出来ていますか』/友達が聞いていた。/『なんだか、さっぱり仕事をする気がないのよ。家のやりくりのためにだけ書くような気がして』/妙に捨てばちな、明子の返事であった。広介は聞きとがめていた。

 自分の力に不満を持ち、そこから一生懸命計画している仕事を次々に克服してゆこうとしている広介にとって、この明子の態度は不遜なものであった。思い上った太々しさであった。ことごとに当てつけられている明子の不遜な、強さに、広介は負けるのであった。明子の留守の時に、しみじみと、自分がどんなにか明子を生活の友として頼っているかを、見出していた広介であったが、明子のこの頃の暗さの力は堪らなかった。広介は広介で、始終女房に遠慮をしている不便さを感じていた」

妻の友達と通じるのは夫の報復である

 長い引用になってしまったが、本郷のカフェで出会った二人の生活が、いかに遠い処まで来てしまったかを、小説は容赦なく示している。夫より稼ぎも多く、当然ながら世間も広い稲子=明子が、思わぬほど大きな存在感を持つようになった妻の存在を強く意識せざるをえないがために、他の女性に惹かれてしまう窪川=広介の葛藤を通して描かれている。

 中野重治は、『くれない』について、「ひと組の男女が誠意をもつて、社会的活動と家庭生活を統一してやつて行こうとするかぎり、この日本ではこういう行きつ戻りつやは、当分は消えそうにもない」と新潮文庫の解説「『くれない』について」で記している。

 結局、窪川は外の女の許へ走った。しかも、その相手は、佐多が親しくつきあっていた、作家の田村俊子だったのである。佐多が激しく傷ついたのは当然である。とはいえ窪川の身になって考えてみれば、致し方ないのかもしれない。確かに、妻の友人と通じるのはたちが悪い。しかしそれは、なかなか処を得る事の出来ない夫のある種の報復と考えれば、情けないもののある程度、納得できるものだ。

 田村俊子の、作家としての経歴は長い。

 二十歳の時、幸田露伴の弟子となり、佐藤露英という筆名で『露分衣』を書いて、デビューした後、『青鞜』の主要筆者として活躍した。ついで恋人を追ってバンクーバーに赴いたカナダ時代にはエッセイや論文を執筆している。

田村俊子 幸田露伴に師事した小説家の俊子は、友人だった稲子の夫・窪川鶴次郎と交際した

 恋人の死後、日本に帰国してから、再び小説家として活動した。この時期に、俊子は窪川と交際している。そして晩年は中国に渡り、海軍から出た金で、中国語雑誌『女声』を出した。

 日本に帰国した後、俊子の晩年に近い時期に執筆された「山道」は、窪川との交際を描いた短編である。

 「道が二つに分れていた。山から伐り出す木を積んで、車で町に送る軌道が、一つの道に敷かれていた。二人は軌道に沿って右へ山道を下りた。/木を積んだ車が山から軌道を下りて来た。夫が先きに立って車を引き、妻が後方から前屈みになって押して行く。二人は眼を其れに惹かれて、二人の前を通り過ぎるまで見守った。/『夫婦ね。』/これに似た生活の、苦労を共にする夫婦の生活が、女の眼の底に映った。/其れを追うと云うのでもなかった。

 同じ道を車の走って行く後ろから続いて歩いた。中途に開かれた林に沿って迂曲する道の方角へ、車は見えなくなったが、二人が其所に行き着いた時、車を停めた夫婦は木の切株に腰をかけて休んでいた。/夫婦は二人を見ると人の善い村人たちのように会釈した。夫の方は刻んだような上品な面長な顔をしている。其れが二人の眼に付いた。

 長い血の系統を其の顔だけに残しているような普通の人とは別な顔であった。王朝時代の衣冠を着けた絵に見るようであった。其の顔が労働に窶れて、いっぱいに皺んでいる。妻も日に焦けた、はっきりした輪廓を持った顔に豊かな笑いを湛えて近寄る女を見上げた。/男が車の傍に寄った。/どれだけの重さがあるのか、其れを試そうとするように、車の傍にあった肩当てを斜に肩にかけて車を引いた。

 一分も動かないのを、夫婦は笑いながら眺めている。/煙草入れから煙管に煙草を詰めた老人は一と口喫った煙りを静に吐いている。都の人の戯れに好意を見せる品のいい笑いが唇に動いている。女も其れに笑顔を向けながら、自分は車の後方へ廻った。/『私が押して上げる。』/男は其れを眼で受けて、又車を引いた。女が押す力は、重い車には触るほどの力にもならなかった。

 其れを見て、面白そうに夫婦が笑った。男も女も自分たちの力のない可笑しさよりも、唯一時の戯れの面白さに興じた笑いを夫婦の笑いに合わせて傍を離れた」(「山道」『木乃伊の口紅・破壊する前』)

 「男」と「女」という匿名の、不自然な生活を強いられる二人と、日々の労働を宿命としてうけとめて平穏に生きている山の夫婦の高貴さの対比は、田村俊子の晩年の境涯と思いあわせると、なかなかに感慨深い。

週刊現代2011年12月17日号より

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