稀代の「呼び屋」が愛した居酒屋の温かさ、
滋味と香気

 神彰という人物を御存じだろうか。

 大宅壮一から「呼び屋」と仇名され、外国の芸術家、タレント、スポーツ選手などを招聘して一世を風靡した、プロモーターである。

 大正十一年、函館に生まれた神は、画家を志し、昭和十七年、二十歳でハルピンにわたった。ハルピンからシベリア鉄道に乗り継げば、パリに行けると考えたという。

 史上空前の規模でナチスドイツとボルシェヴィキ・ソビエトが死闘を展開していた時期であるから、そんな目論見が実現するはずもなく、五年間、満州国の北方で、旅行代理店に勤務し、映画館で看板書きなどをして過ごす。しかし、ここで得た満州人脈が、後の飛躍の礎となった。

 満州国の崩壊に立ち会った後、帰国した神は、函館新聞に就職。昭和二十九年に上京して、満州時代の知人の長谷川濬(牧逸馬の弟、元満州映画社員、ロシア文学者)らと再会した。

「濬君は声自慢でね『バイカル湖のほとり』とかロシア民謡を焼酎飲みながら歌っていたんだが、戦争に負けて夢も何もない、こういう時に(本格的な)ロシア民謡を聞けたらいいねぇと思って始めたのが、ま、呼び屋なんだ。
  どうしたらいいか、まずニコライ堂に行ってみよう、そしたら運がいいことにニューヨークから帰ったばかりの神父がいて『ドン・コサック合唱団がいるよ』と教えてくれた。そこでさっそく知り合いの喫茶店で電話を借りて(国際電話料金を)後払いでかけたら、指揮者のセルゲイ・ジャーロフが出たんだ。
   で、『どうだ、お互い赤軍に負けた者同士じゃないか、こっち来て歌ってくれないか』といったら、『よし、行く』ちゅうわけだ、簡単に」
(『ビジネス・インテリジェンス』平成四年九月号)

ドン・コサック合唱団を招聘した神彰の「凄み」

 ニューヨークに本拠を置く、ドン・コサック合唱団は、革命により亡命した帝政派のロシア人によって構成されていたのである。

 契約書を担保に三和銀行から融資を受け、毎日新聞の協賛をとりつけた神は、全国四十ヵ所での公演を計画した。興行の経験がまったくない素人の冒険を危ぶむ声も少なくなかったが、いざ蓋を開けてみれば、大盛況で全公演が満員、ついには皇太子殿下が台臨するという栄誉に与った。

 神の凄みは、ドン・コサック合唱団の成功を踏み台に、敵方ともいうべきソビエト大使館と交渉をはじめたところにある。「たまたまロンドンでレニングラード・オーケストラが大評判になっていて、これだと思ったんだ。だが、鉄のカーテンの中に引っこんじゃって、出てこない。幻のオーケストラといわれたもんですよ。それから毎日、狸穴のソ連代表部に通ったわけ。で、長谷川に手紙を書かせて、スターリンには出さなかったけれど、モロトフとか偉い人にね」(同上)。

 ソ連との契約条件は破格のものだった。 来日の旅費はソビエト側が負担。ギャランティの支払いも免除。神側の支払いは、滞在経費と帰路の航空運賃だけという、好意的なものであった。

 この条件で、レニングラード・オーケストラだけでなく、チェロのロストロポビッチ、ボリショイ・バレエ団、ボリショイサーカスなどを招聘できたのだから、神に巨額の収益が流れ込んだのは当然だろう。当時、神が全学連のスポンサーだ、というような風評まであったという。

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 一躍、神は時代の寵児となり、昭和三十七年には作家の有吉佐和子と結婚している(二年後に離婚)。

 興行では、アート・ブレーキーやクリス・コナー、ソニー・ロリンズなどのジャズ・ミュージシャン、シャンソンのイベット・ジローの招聘、ピカソのゲルニカ展、シャガール展などで成功を収めたが、インド大魔法団で失敗。その後、大西部サーカス、インディアナポリス五百マイルレースなどの興行はいずれも失敗した。

 破産した神は、二番目の妻、義子の導きで居酒屋業界に参入する。もともと赤坂で料亭『嵯峨』の女将をしていた義子は、不遇時代の神に、勘定もとらずに毎日のように酒食を供していたという。そのため、『嵯峨』の経営も傾いてしまい、起死回生のためはじめたのが、『北の家族』だった。

 ところが、頼みの綱であった義子が、開店五ヵ月で急逝し、神が経営せざるをえなくなる。神の、山菜の付きだし、ホッケ一尾に男爵芋、地酒二合で、千百円という料金設定は人気を呼び、一号店には、阿佐田哲也ら中央線の文化人やタモリらジャズ系の人々が集うようになったという。

「貧乏時代が長かったから、安くて旨い料理に感動する。そんな料理を出す仕事にこそ、やりがいを覚える」(『プレジデント』平成六年十二月号)。

『北の家族』の経営母体、アートライフは、平成四年に株式店頭公開を成し遂げた。「呼び屋」で一世を風靡した神は、厳しい挫折の後、再起したのである。得意の絶頂からドン底を体験した神は、居酒屋の温かさ、滋味と香気をぶらさげて、世間に戻ってきたのだ。

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 平成九年、アートライフは、冷凍食品会社ケイビーの株式公開買い付け(TOB)により、買収された。買収金額は二十三億円であった。

 この買収を契機に、『北の家族』の経営は傾いてゆく。平成八年度、売上高百二億円にたいし、借り入れ金三十億円だったが、買収後の平成九年は、売り上げは百八億円と微増したものの、借り入れ金が七十億円に膨らんでいる。

「借り入れ金は増えたが、それが北の家族のためにどれぐらい使われたのか。すべてとはいわないけれども多くがグループ内へ流失してしまった」という元社員の言葉を、『日経ビジネス』平成十四年六月十日号は紹介している。

『北の家族』を買収したケイビーの元会長、長谷川浩は、若松市(現北九州市)の職員から野菜の行商をはじめ、冷凍食品の製造に取り組み、チルド食品で成功をおさめ、昭和五十八年には全国展開をはたして、「チルドのケイビー」として名前を知られるようになった。

 同社は、平成八年に株式を店頭公開、以後『北の家族』を傘下におさめたのを手はじめに、「肥後ばってん」「陣屋」「二葉鮨」「おく山」「京たこ」などを次々に傘下に収めたが、平成十三年に資金調達に失敗した後、経営が傾き、翌年、『北の家族』は、民事再生法の申請を余儀なくされた。現在、同社は、外食経営のNBKによって運営されている。

 神彰は、ケイビーによって、北の家族が買収された翌年、病没した。

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