震災後の東京で流行ったカフェ。
その群像劇から「作家」は生まれた
佐多稲子Vol.5

vol.4はこちらをご覧ください。

「あれはあたしの輝ける青春でした。いろいろな意味で」と、佐多稲子は『驢馬』の同人たちとのつきあいについて語っている。

 中野重治、堀辰雄といった、文学史に顕かに印されることになる作家ではなく、相対的に地味な窪川鶴次郎を伴侶として稲子は選んだ。その理由を、「窪川さんだったのは何故って訊かれるんですけど、だって、それは、もう、その、好きだったということも、まずあるでしょう。

 でも、どうなのかなあ・・・。(中略)窪川さんが好き、というか、どこか惹かれる感じがあったのは、あのときの窪川さんの境遇っていうものが、両親が亡くなって一人で東京で苦労していたという状態で、お勤めをして働いていて」(『年譜の行間』)と、語っている。

田端文士村 稲子が窪川と住んだ田端(東京・北区)は多くの作家が集まり、文士村と呼ばれた

 窪川と稲子は、田端のアパートで暮らしはじめた。窪川は自らの生活を支えるのがやっとという状況にあったので、稲子は動坂よりも稼ぐ事が出来る、浅草の大きなカフェに女給として勤める事にした。

 その経験から生まれたのが、『レストラン洛陽』である。震災後、東京をはじめとする大都市で流行したカフェを、女給の側から描いた作品は、大きな反響を呼び、この一作で稲子は新進作家として認められた。

実存的な「暴力」が投影された作品

 『洛陽』は、傾きかけているカフェに働く女給たちの、群像劇として描かれている。「飛行将校夫人」と仇名されているお葉、柳橋の半玉だったお露、「葵の紋」で知られる華族の保河徳則が入れ込んでいる夏江、近衛の脱走兵と心中したお千枝、着物の手配に難儀しているお幾、色事師とつきあっているうちに脳病に罹って死んだお芳・・・。

「震災後に張ったカフェーが、この頃次々に閉業して行った。二、三日前もカフェー梅月が店を閉めて、扉や二階の窓ガラスに貸店の貼り紙が出されたのであった。洛陽は一番あとになったという安田の口調は、自分の店も早晩閉めることをほのめかしているようにも聞えた。それでいて、最後まで女給たちの衣裳は気になるらしい。/その時三人の男が店へ入って来て階段を上った。保河の連中である。

 保河は相変らず色が悪く、無表情だ。連れの一人は、よく新聞に写真の出る、太った父にそっくりな或る貴族院議員の息子である。も一人は、のんべんとただ栄養よく発達したというような、身体の大きい、のん気な表情の男だった。/『徳則さん、来たね』安田は起ち上った。『夏江いるかい、いたら二階へ来るように言っとくれ』/長椅子にいた女が返事をした。安田は妾に何か言いおいて二階へ上った。

 この頃安田はよく、保河の連中と二階で落ち合った。そして安田はいつもその席に夏江を侍らせて、親父のような口をきく。/夏江の話によれば、安田は新しく何か起こそうとしている事業に、保河の助力を頼んでいるのだとか。

 夏江はまたそれを、得々と、自分が頼まれてでもいるように話すのであった。/その日、女部屋には早速、衣裳についての注意書が貼り出された。お葉がはいって来たお幾を見て、興奮した上ずった声を上げた。/『ほらほら、幾さん、これをよく注意して』/『なあに、―黒地の着物、成る可く著るべからず、だって? 私なんか、新しくこしらえなきゃ、派手な着物なんかありゃしない』/『実際無理よ、私たちにばっかり好い着物きろきろったって、お店はほったらかしなんですもの』

 お絹が一言毎に頤を突き出して不服そうに口を尖がらせる。/彼女たちの花のような衣裳も、洛陽のガランとした倉庫のようなわびしさの中では、果敢なくしぼんでしまうのであった。店そのものが大きな造花のようなオリオンでは、女給たちの姿は嬉々としてあそぶ胡蝶であるかも知れなかった」

 戦後派作家のなかでもユニークな存在だった椎名麟三は、経済的逼迫により十五歳で姫路中学を退学せざるをえなくなり、果物屋の小店員、蕎麦屋の出前持ちをへて、大阪のカフェでコックの見習いとして働いた。

 「コック場は、夕方になってから活気を呈しはじめる。精養軒に十年もいたというマスターが、ストーブの前に立つ。彼は、ぶくぶく太っていて、腹が大きく突き出ている。彼は、糖尿病で、すぐ疲れるのだ。そのとき、清作が代ってストーブの前に立ち、ときには焼すぎたビフテキをつくり、オムレツを返しそこなってストーブの火のなかへ放り出し、糊のようなコキールをつくるのである。

 この彼が、精彩を放つのは、カクテルの注文のあるときだ。清作は、コック場からカウンターに廻り、カクテルの本をそのかげにひろげ、ミリオンダラーやマンハッタンなどのシェーカーを振る。勿論カクテルは、少しばかり余分につくられる。

 彼は、カウンターのかげへかがみこみ、シェーカーから直接に口のなかに流しこむ。カクテルが特別に好きなのでもなければ、出来具合を見るためでもない。彼の猿のような好奇心のためなのだ。

 マスターは、中里のマネージャーの真黒なそれとはちがって、愛嬌のある茶色の口髭をたくわえていた。その彼は、始終、女給たちに冗談をいい、彼女たちを笑わせた。(中略)『妙さんの、二階へ上るときの、あそこの恰好、こうや』/そして彼は、女の局部の動きを口で描写するのである。その鼻の下のちょび髭は、その描写にリアルな感じをあたえる。女給は、金切声をあげて笑いながら逃げ出す。/『いややわ、マスター! ・・・ほんまにいややわ!』/だが、このマスターの基本的な情緒は、漠然とした憂鬱というべきものだったのである。

 彼は、ストーブの前に、立ちはだかったまま、一時間も二時間も、コック服の胸のあたりに手を入れて、ぼんやり考えに沈んでいる。この店の出資者は、彼の妻の里方なのだが、そのせいで、妻との関係もうまくいっていなかった。マスターと同じように太っている妻は、始終里方へ遊びにかえっていた。子供もそこから学校へ通っていた。/『うちのおかみさん、かわいそうや』と彼は、女給にしんみりいう。『おれ、糖尿病なんでな』」(『自由の彼方で』)

 『自由の彼方で』の主人公清作には、椎名自身の彷徨が投影されている。他者と争いになった時、みずからガラスの窓に身を投げる、という自らへの「暴力」の有様は、ある視角から見れば、カミュやサルトルよりも鋭く、鮮やかに「実存」的と云い得るかもしれない。

週刊現代2011年12月3日号より

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