【最終章】「平家はなぜ滅亡したのか?」 清盛、痛恨のミスは『季節風』---そしてハイパーインフレが平家を襲う

 当連載の更新をお待ちくださった皆様、大変申し訳ございませんでした。

 当連載の書籍化作業のために、しばらくお休みを頂いておりましたが、約1ヵ月ぶりに再開いたします。

 当連載の書籍は『経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書』というタイトルで12月16日に発売されます。

 書籍化が決まったのも、当連載を応援してくださった皆様のおかげです。

 連載時の原稿を大幅に加筆修正しておりますので、興味のある方はぜひ手にとってみてくださると嬉しいです。

これまでのあらすじ

 さて、現在お話している「最終章」のテーマは、「なぜ平家は滅亡したのか?」。

 平家滅亡の原因を遡ると1180年の以仁王の乱と源頼朝挙兵に、さらに遡るとその前年1179年の「治承3年のクーデター」(平清盛が後白河法皇を幽閉した事件)に辿りつきます。

 このような争乱の時代になった原因・・・そのひとつが「宋銭普及」でした。

 この頃、宋銭普及の影響で、これまで貨幣の役割を果たしていた絹・米の価値が相対的に下がり、デフレーションが発生していたのです。

 絹・米の価値下落は、荘園から収入を得る貴族や寺社、在地領主(有力武士)の生活を直撃し、銭を大量に持つ平家との経済格差を広げてしまいます。

 この状況が貴族らの不満を生み、「宋銭普及」政策を推し進める重商主義派(平家)と、それに反対する重農主義派(後白河法皇、貴族ら)との政策的対立が激化したことで、治承3年のクーデターが起きたのです。

 また銭を貸し出す「銭貨出挙(銭出挙)」の利息が非常に高かったために、深刻な銭不足が発生し、それがさらにデフレを深刻にしていました。

 これを人々は「銭の病」と呼び、世間は大混乱しましたが、清盛はこの「銭の病」を未然に防ぐことができなかったばかりか、混乱を目の当たりにしながら適切に対処しようとしませんでした---

 ---これは一体、なぜだったのでしょうか。

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