第7章 金融ガラパゴス
ヨーロッパから数年ぶりに帰国した、ある大金持ちの日本人未亡人が、自分の預金を降ろすために都下にある大手銀行の支店を訪れた。カウンターでこの未亡人は、預金払い戻し請求書に「2000万円」と書き込んで、通帳と印鑑とともに窓口に出し、整理券を受け取った。ほどなくして窓口に呼ばれた未亡人は、女子店員からこう告げられた。
「お客さま、この額で間違いありませんか?」
「ええ」と未亡人が答えると、「すいません。その額ですと、当支店では本日お渡しすることができません。現金の用意がありませんので」と、その女子店員が言った。驚いた未亡人は、「なぜ? 私は今日、そのお金が必要なのよ」と聞き返した。
「額が大きすぎます。この額ですと、前もってご連絡いただかないと、用意できないのです。それにご本人さま確認の書類が必要です。また本日、どうしてもご入用なら本行に連絡しますので、そちらに取りに行っていただけませんか?」
これを聞いて、その未亡人は怒った。
「あなた、いったいなにを言っているの? それは私のお金ですよ。あなたがたのお金ではありませんよ。本人確認の書類なら、ここにあります。ともかく、自分の預金を降ろすのに、前もって連絡しろとか、本行に自分で行けというのは、どこか間違っていない?」
「いえ、でも実際問題としてそういう決まりですので」
この窓口でのやり取りはしばらく続き、最終的には支店長が現れて、なんとか収まった。結果的に未亡人はその支店で1時間以上待たされた後に、現金を受け取ることになった。
ここで、私たちが学ぶことは二つである。一つは、日本の銀行の多くの支店には、一部の大型支店をのぞいて、現金がないこと。現代の取引は、現金ではなく、ほとんどが電子信号であり、決済はコンピュータ上でなされていること。
そしてもう一つは、日本の銀行のサービスが悪いことだ。いまでも日本のほとんどの金融機関が、自身を金融サービス業と思っておらず、顧客を顧客と思っていない節がある。かつて、小泉政権時代、日本の銀行は、不良債権処理問題をめぐってマスコミや国民から激しいバッシングに晒された。このときも、サービスの悪さは指摘されたが、いまもその体質は変わっていない。
2008年のリーマンショックで、欧米の投資銀行は巨額の焦げ付きを出し、破綻する銀行が相次いだ。このとき、グローバル資本市場でほぼなにもしてこなかった日本の銀行は傷が浅かったため、銀行批判は消えてしまった。しかし、ただかたくなに自己資産を守ることしかしなくなった日本の銀行は、いまも顧客のほうを向いて運営されているとは言い難い。
現在、日本の銀行のほとんどが、欧米の銀行に比べて法外に高い手数料収入と国債保有の利回りで利益を上げている。これは、金融機関としては異常な姿だ。
野田政権誕生後、増税一直線の日本に警鐘を乱打する書。
山田氏は長くセレブの動向を取材してきたが、海外に資産を移す動きはいまやOLや高齢者にまで広がっている。
こうした「資産フライト」の現場に密着し、その方法を克明に紹介した本書が発売されると、全国の書店から注文が殺到。発売3日目には早々と重版が決まった。