職を転々として辿り着いた料亭。
女中は文学少女と面白がられる---
佐多稲子Vol.2

vol.1はこちらをご覧ください。

 稲子の危難はつづく。

 キャラメル工場は二ヵ月でやめた。もとより、電車賃にもならない稼ぎだったのだから是非もない。

 稲子は、浅草六区の中華料理店で働くことになった。

 中国人の主人も、銀杏返しに結ったお姉さんも親切だったが、厳しい仕事に耐えるだけの体力が稲子にはない。仕事は、芋の皮を剥くことと、出前だった。雑踏をきわめる繁華街を急ぎ足で歩き、映画館やオペラ、寄席の楽屋に配達する。

 「『あの、万来軒から来ましたけれど』/『なあに、どこから』/『万来軒から』/『さあ、俺じゃないよ。聞いてごらん』/男はそう言って、空気草履を引きずって部屋の蔭の廊下へはいってしまった。---梯子を登るとすぐ部屋があって、料理を頼んだ男はちゃんと待っていると聞いたのに、そこの様子はどうも違っていた。

 それに料理は冷めてしまっては大変なのだ---ひろ子は少し上ずった声を上げて、また部屋の中へ呼びかけた。/『誰だい!』/ひしゃげた男の声が一段高く扉の中から聞えた。/『こちらでしょうか万来軒から来ましたけど』/『違うよッ』/そしてまた、あとの取り付き場もないように、前の話がぼそぼそと続いている。ひろ子は困惑に凹んだ眼を、岡持の上に落して佇っていた。

 どう聞き違えたのか、教えられた家は、ここより他にない筈であった。/ひろ子は、また一段々々梯子を降り始めた。表の西洋館の方から、柔らかな雲のように、たくさんの拍手の音が湧いて来て、音楽がそれに交って聞えて来た。ひろ子は泣きそうな顔で、暗い足元を探った」(『お目見得』)

 稲子は、シューマイを食べたくて仕方がなかった。昼にチャーハンなどを食べさせてくれるのだけれど、シューマイは格別だ。ついに思いあまって、財布から二銭とりだした。
「銭なんかいらないよ」

 ただで食べさせてくれた。

 翌日、「も少し大きくなったら、また、おいで」と、主人に云われた。

弁えをかなぐり捨て、作家として生きよう

 小間使いとして奉公に出た後、父が播磨造船所に就職をしたので兵庫に行った。父が再婚したため継母をきづかい、再び上京して不忍池の料亭、清凌亭の女中になった。

「芥川さんをはじめて清凌亭に連れていらしたのは小島政二郎さんのようですが、そのころは芥川さんが文壇にお出になった、最も華やかなときで、新進なんですけど、今の新人と大分違うのですよ。菊池寛、久米正雄と三人組みたいにして大変もてはやされて、作品を発表なさっていた。/あたしが『あれは芥川龍之介という小説家だわ』とその係の人に言ったら、その女中さんが芥川さんに『先生を存じあげてる者がおりました』と伝えたのね、それを芥川さんが、こういうところで自分の顔を知ってる女中がいるというのは面白いとお思いになったの。

 それはあとで伺った話ですけれども、確かに面白かったろう、珍しかったろうと思うんです。/それから以後、また来てくださるようになった。そうしたら、お帳場の方でも、芥川さんがそういう方だということを存じあげて、あたしにそこの番につくようにするとかいうようなこともしてくれました。そして、そういうところに文学少女がいるというので、菊池さんも久米さんも芥川さんも、きっと面白かったのでしょう、よく来てくだすった」(『年譜の行間』)

 小島政二郎は、今日では、グルメリポートの元祖『食いしん坊』の著者として名が残っているが、一時は菊池寛と肩を並べる---並びかけた---流行作家であった。今日、彼の小説で、読まれているのは、芥川、菊池との濃い交流を描いた『眼中の人』ぐらいだろう。昭和文壇勃興期の渦中を描いた、特に菊池のユニークな個性、人格を描いたという点で、きわめて貴重な作品になっている。

 「『あれだね、こんな家へ来ても、僕たちの名前を知っていてくれるような時代にならなければ詰まらないね』/二人の流行作家が、そんな羨ましい会話を取り交わしているのを、私はわが身に遠いことに聞いていた。芥川は絶えずバットを手から放さなかったが、その頃は菊池も私もまだタバコを口にしなかった。/いざお勘定という時、芥川が、/『今日は僕が払うよ』/そういって内懐から紙入れを出した。

 女中がおつりをお盆に載せて持って来た。/芥川が、そのおつりを蟇口の中へしまい込んだ後のお盆へ、菊池が祝儀の銀貨をザラザラと落した。/これも、その頃の仲間の風習で、誰かが御馳走した時には、外の誰かが祝儀を置く。祝儀を置くことによって、まるまるその人から御馳走になったのではない、そうした消極的な快感を味いたいという趣意だった。

 尤も、私なんかはしじゅう祝儀組で、一度も『あるじ』になったことはなかった。/見ると、菊池の置いた祝儀は五十銭玉が三つだった。/『菊池、もう五十銭置けよ』/それを見て、芥川がいった。/『なぜ?』/『なぜッてこともないけど、一円五十銭はおかしいよ。ねえ小島君?』/芥川が私を顧みた。/『ええ』/芥川のおかしいという意味が、東京者の私には、なんの説明もなしに頷けた。東京には一円五十銭の二円五十銭のと、半端のつく祝儀を置くシキタリがなかった。一円か二円か、それでなければ三円か、四円という祝儀もなく、一躍五円になる。私はその由を説明した。

 すると、菊池が、/『だって、二円置く気持にならないもの仕方がないじゃないか。一人五十銭ずつで一円五十銭さ。ちっともおかしいことはない』/『じゃ、君、一円にしろよ』(中略)しまいには、芥川はおかしそうに---祝儀のことをまじめに論じ合った自分を顧みておかしくなったのだろう、自分自身まで笑殺するような苦笑を洩らしてスッと立ち上った。/私はキマリが悪くって、いたたまれない気持だった。

不忍池 東京・上野の池のほとりにあった料亭・清凌亭で、佐多稲子は女中として働いた

 急いで二人の後に附いて、雪駄を突ッ掛けてそとに出てホッとした。/教訓は、どこに転がっているか分らない。無論その時は、『仕様のない田舎者め』と私は菊池を軽蔑した。が、不思議に、お盆の上に光っていた銀貨三つが頭にこびりついて離れなかった」

 東京、下町の旧家に育った小島は、讃岐から単身上京し、みずからの活力だけを頼りに活路を開いていく菊池に圧倒される。都会人としての弁えをかなぐり捨て、精力的に作家として生きて行こうと誓うのだった。

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