片山豊。この名を聞けば、クルマ好きの多くが「フェアレディZ」を思い出す。「Z」の産みの親として知られ、米国で17年もの間、販売の最前線に立った。
現在100歳。今でもかくしゃくとしている。地に落ちた日本の自動車産業をどう考えればいいのか。何が道を誤らせたのか。片山氏は怒りとともに、こう語る。
― 最強と言われたトヨタ自動車が、昨年71年ぶりに赤字に転落。'10年3月期も営業赤字を計上する見通しです。'09年は中国の自動車市場が米国を追い抜き、世界最大のマーケットになった。
自動車産業は大きな曲がり角にあり、欧米や日本の多くの自動車メーカーは経営的に苦しんでいる。
「トヨタだけでなく、日産もホンダも、今の日本の自動車会社の経営者は何のためにクルマを造っているのかね。クルマは単なる移動の道具ではなく、社会を豊かにするためのものという考えが欠落しているから、消費者から見放されているのではないですか。
20年以上前、米国の自動車産業の栄枯盛衰を描いた『覇者の驕(おご)り』の筆者で、ピューリッツァー賞を取ったデイビッド・ハルバースタムが私のところに取材に来て、『アメリカの自動車メーカーは儲けることだけを考え、良い商品が造れない。いずれ日本も同じ命運を辿(たど)ると思う』と語っていたが、その通りになった」
―トヨタは、「プリウス」などの新型ハイブリッド車4車種でブレーキに不具合が生じ、リコールに踏み切った。会見に立った豊田章男社長は「品質はトヨタの生命線」と強調して謝罪。品質でトップレベルを誇ってきた会社の失敗を、どう見るか。
「造った責任としてリコールするのは当たり前だが、これは大変なこと。最近のクルマ造りの根本的な問題が潜んでいると思う。
プリウスのブレーキシステムの不具合は、電子制御の問題。今のクルマは人間の操作能力を超えたコンピューターの塊だから、予期せぬことが起こる。クルマというのは本来、五官を働かせながら運転するから楽しいのだが、今は人間がクルマに操(あやつ)られている。クルマの構造をシンプルなものに戻さないと、今後も様々な問題が起こるだろうね。
クルマの技術は日々進歩しているが、走るのはレールの上ではない。路面は凍っていたり、熱かったり、舗装されていなかったりする。様々な状況下で走るし、しかも人によって、ブレーキやアクセルの踏み方も違ってくる。コンピューターがすべての条件に対応できるのでしょうかね。
乗り手もそのことをよく知った上で、新しいクルマを使わないと、どんなに進歩した機械もうまく働いてくれない。優れた馬でも、その性質を知らないで乗れば駄馬になってしまうようにね」
片山氏は、1935年に日産自動車に入社。販売・宣伝畑を歩んだ後、1960年、50歳で渡米して、日産の米国事業を立ち上げた。米国日産社長として、日本車の評価が定まっていない時代に販売網の構築に走り回り、「DATSUN(日産のかつての小型車シリーズ)」を世界的ブランドに育て上げた。
さらに、米国で売れるスポーツカーをという一心で、「フェアレディZ」を産み出し、米国市場を席巻した。
'98年、その功績が認められ、米国の自動車殿堂入り。日本人では当時、本田宗一郎(ホンダの創業者)、豊田英二(トヨタの中興の祖)、田口玄一(品質工学の開発者)の各氏に次いで4人目だった。
'02年にはZ復活のアドバイザーを務めるなど、「自動車の父」は、引退後もなお精力的に活動している。
― 昨年破綻したGM(ゼネラル・モーターズ)は、自動車産業の危機を象徴していた。どこで何が変わってしまったのか。
「今のメーカーはクルマではなく、おカネを作っていると思いますよ。そして、稼いだカネを元手にさらに高級車を造り、リースやローンなど新しい金融技術を使って、その高価なクルマを売りさばいている。
ちょうど僕が生まれたころ、米国で『T型フォード』が誕生して、4000ドルくらいしていたクルマが、一気に600ドルくらいまで値下がりし、大衆がクルマを買える時代になりました。
それまでは馬車が交通の主力で、人間は5000年も前から馬を移動手段として使ってきたが、それが一気にクルマに変わっていった。それから、100年経って、自動車産業は今、曲がり角に立っています。特に自動車産業で経済を牽引してきた先進国でね」