「剃刀」と呼ばれた酷薄な男に、見出された一人の女性画家

洲之内徹Vol.3

vol.2はこちらをご覧ください。

 洲之内徹が経営した現代画廊は、はじめ中央区銀座八丁目、フジヰ画廊が入っていたビルの三階にあり、昭和四十三年に松坂屋裏の、銀緑館ビル---今は一階に京都の古美術店、思文閣の東京支店が入っている---の三階に移った。

 ここに日本中から自作を抱えた画家が、洲之内にその作品を見せに訪れたのであった。

 宇野政孝、田畑あきら子、木下晋、佐藤渓など、洲之内のおかげで世に出た画家はめずらしくない。

 その中でも、松田正平と「みよし」は、その双璧だろう。特に「みよし」は、戦前に海外体験のある松田とは違って、洲之内なしには埋もれてしまった可能性が大きかった、いや、確実に埋もれてしまっただろう。

 ウィーン在住の日本人女性である「みよし」は、共同通信ウィーン支局長が購読していた『芸術新潮』で、洲之内の存在を知り、来日して現代画廊を訪れ、自作を見せたのである。

「みよしさんの持ってきたのが、ご覧の図版の、鉛筆画の雪の絵であった。無論これだけでなく、全部で七、八枚あったろう。みよしさんは作品をまたウィーンへ持って帰ると言うので、私は芸術新潮に頼んで、全作品を写真に撮っておいて貰った。見事な仕事で、返してしまうに忍びなかったのだ。

 そのとき私が褒めたのが、この人にとっては非常にうれしかったらしい。彼女は初めコラージュをやっていて、それで個展をしたりもしているのだが、あるとき突然、こういう鉛筆の仕事を始め、しかも全く自己流でやりだしたこの仕事を、それまで誰にも見せた事がなく、見たのは私が最初だったのだ。彼女がそう言うのである。褒めるといっても私にたいして自信があるわけではなく、私はただ、いいと思うからそう言ったまでだが、彼女には自信が生まれたらしい。ウィーンへ帰ると仕事を続け、昨年、鉛筆画の個展を開いた。だいぶ反響があったようで、彼女はテレビにもひっぱり出された。『先生』には困ってしまうがこんな手紙が来た。

 ---すのうち先生、私の鉛筆の雪の絵がクロイス氏(オーストリーテレビ芸術編集部長)が云われる様にもし独自の絵なのでしたら、私が先生のところへ伺った時先生にはげまして頂き、力づけて頂いたおかげで、雪の絵を、その後9ヵ月かき続ける事が出来たのです」

(「雪やこんこ」『セザンヌの塗り残し』)

神から贈られた「鑑賞者」の眼

 「みよし」の作品は、たしかに独自のものだ。実は、彼女がウィーンに持ち帰った、雪のなかの白樺を描いた作品は、今、私の手元にある。別に特別な手品を使った訳ではなくて、銀座の画廊で購入しただけの事だ---ただ、会期のはじまる前日に行って買約をしたけれど。欲しければ盗んででもというようなコレクターの世界(実際、松永安左衛門のように、茶会に出た板絵を抱えて走りだして、自宅に持ち帰った人物もいる)では、可愛いものだ。実際、何回か買い物をしているから、そういう我が儘を認めて貰えるわけだし。とはいえズルイのは事実だけれど---。

 葉の落ちた枝の屈曲の一つ一つを丁寧に丁寧に描いている作品で、見ているとだんだん、作者の息のつめ方、その神経の高まり、滑り出そうとする指をぎりぎりに制している筋肉の強ばりが迫真してくる。とてつもない作品だ。

みよし 1931年生まれ、2001年没。本名不詳の女性画家。写真は筆者が所有する彼女の絵

 「みよし」さんとは、二度会った。一度目は、「みよし」さんが、銀座のフォルム画廊で、鉛筆を止めて、水彩に転じた作品の展覧会をした時で---その時にも作品を買わせていただいた。その経緯を『新潮』に書いたら、佐伯一麦夫妻が、家まで見に来てくれた---、その時、私は彼女にインタビューを申し込み、彼女の友人が所有している浅草にほど近いマンションで、二時間ほど話を伺った。当時、『新潮』編集部にいた中瀬ゆかりさんが、同行してくれた。

 洲之内の文章からも窺えるのだが、かなりエキセントリックな人で、こうした剥き出しの神経を持っていないと、ああいう絵---特に鉛筆の---は描けないのだろうな、と妙に納得したのを覚えている。

 東京に身よりのない(らしい)、「みよし」の面倒を、洲之内は何くれとなく見てくれたという。仕事場だったマンションの一室を提供したこともあったし、洲之内がそのコレクションのほとんどを置いていた、大森山王のアパートに滞在させた事もあったという。

 「みよし」が語った話は、実に興味深いものだったが---見事に女物の和服が詰まった行李が残されていたとか---、そのほとんどは拙著『日本人の目玉』に記したので、ここでは書かない。ただ、洲之内は酷薄な一方で、親切になろうとすればいくらでも親切になる事ができる男だと知り、いろんな事に納得がいったような心持ちになった。

婉という女』で、毎日出版文化賞、野間文芸賞を獲った大原富枝は、洲之内の旧友とも云うべき存在だった。大原は、洲之内が死去した二年後、『群像』の平成元年三月号に「彼もまた神の愛でし子か 洲之内徹の生涯」を掲載した。後に単行本として講談社から出版されている(現在は、ウェッジ文庫で入手可能)。

 鑑賞者としての洲之内について、大原はこう書いている。

「四国の旧友たちが『剃刀のスノさん』と密かに呼んだ彼のある酷薄な一面を、東京の友人や周りの人々の殆どが、何かの形で知っていた。しかし、神は、絵画という無限の美を、救いの手として彼に向ってさしのべている。

『洲之内さんという絶対の信頼をおいていた眼を失って、どうしていいかわからなくなり、もう絵は描けないな、と思ったりしましたが、気をとり直してやっと描きはじめています』

 地球の裏がわから、そんな手紙をわたしにくれた若い絵描きもある。

『あの洲之内先生の眼を、なんとか自分のなかに記憶しつづけてゆくことができるならば、まがりなりにも描きつづけてゆくことができるのではないか、と今日も自分に言いきかせております』

 という手紙をヨーロッパのある街からよこした女の絵描きもある」

(『彼もまた神の愛でし子か』)

 「女の絵描き」は、おそらく「みよし」であろう。過日、松田正平の展覧会を見にフォルム画廊に行った時に、「みよし」が亡くなったと聞いた。

以降vol.4

現代ビジネスブック 第1弾
田原 総一朗
『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった』
(講談社刊、税込み1,575円)
発売中

amazonこちらをご覧ください。

楽天ブックスこちらをご覧ください。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら