「人間味」溢れる晩年の傑作。
演ずる女優が彼の遺志を継いだ
溝口健二Vol.10

 昭和二十九年、溝口健二は三本の映画を撮った。第十五回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得した『山椒大夫』、京都島原を舞台とした『噂の女』、そして長谷川一夫主演の『近松物語』である。

 現代劇は、『噂の女』だけだ。作品のテーマは、もっとも由緒あるとされる島原の太夫の生態を現代に置いてみる、という事だったと云う。

 『噂の女』は、溝口作品、特に晩年の傑作群のなかでは、さほど評価されていないが、私は実はこの作品が、彼の映画のなかで一番好きだ(『愛怨峡』も捨て難いけれど)。変わり者だと誹られるのは承知の上での事だけれど。

 何といっても、京都島原の老舗遊郭の女将、馬淵初子を演じる田中絹代が素晴らしい。溌剌としていて、もう、見ているだけで楽しい。客とじゃれ合い、太夫を叱咤し、歳下の医師に貢ぐ。表情、動作、嬌声、激白、嫉妬、とありとあらゆる人間の営みと感情が展開される。

 女将の娘、馬淵雪子を演じる久我美子も、好キャスティング。なんでもござれの田中絹代にたいして、若い女性特有の堅さ、思い込みで対抗していて、絶好の対抗関係を作りだしている。オードリー・へップバーン張りの短髪に、黒いワンピースの裾をひるがえしながら、母の価値観にせまっていく。

監督が死んだ衝撃をこらえての演技

 東京の大学に在籍中の娘が島原に帰る場面から映画ははじまる。恋人に別れを切り出されて---別離を余儀なくされたのには、母の稼業が関係していた---、睡眠薬で自殺をはかる。

 太夫たちは、帰省した雪子を白眼視する。「なに、あの目」、「結構な身分やなあ」、「うちも田舎に帰ってみたいわ」。

 初子が呼んだ組合診療所の医師、的場謙三(大谷友右衛門)は雪子と同年輩であり、雪子の立場に強く同情する。

 そうした親子の葛藤の裏面で繰り広げられる、酔客の狂態、太夫の行き来、宴席での狼藉の描写もまた見物で、宮川一夫の撮影、水谷浩の美術も、派手な豪華さはないけれど、老舗遊郭の空間を感覚として認識できるような構造になっている。

 医師、的場は、初子に開業の支援を仰ぎながら、雪子にモーションをかけるという際どい仕業をしている。北白川の病院向きの物件を見に行った際、初子は的場に「わては井筒屋手放す覚悟をしとるんやで」と語る。にもかかわらず、一緒に都踊りを観に行った的場は、パンフレットに掲載された芸妓の写真を食い入るように見ている、というシークエンスは、皮肉なユーモアがある。

 馴染みの客をひきつれて、能を観に行った初子は、的場がなかなかやってこないので気が気ではない。ロビーに行くと、的場が東京に行こうと雪子を口説いている。東京の大学に戻って、博士論文を書くというのだ。

 にもかかわらず、初子は百万円を借りて、的場の開業を強引に進めようとするが、自宅で雪子と的場のキスシーンを見てしまう。

 「開業したいのも嘘だったのか」と迫る初子に「なにも云うことはない」と云い放つ。雪子に「なんでわてから先生をとるんや」とまで云う。

 母と自分をもて遊んだ的場に裁ち鋏を向ける雪子。ほうほうの態で逃げ出す的場・・・。

 母と娘が男を取り合うというのは、かなり際どい情景だが、田中絹代と久我美子という、対照的だけれどともに輪郭のはっきりした個性を備えた女優が対峙しているために、けして醜悪にはならない。

 寝こんだ初子に代って、雪子は帳場に座る。姿こそ洋装ではあるけれど、母同様の機敏さで店を切り廻し、むしろ顧客は増えていく。病床で「あんたもだんだん世間を知ってきたなあ」と語る母に、娘は「私、お帳場に坐ってゾッとしたの。私はずっと前から、お帳場に坐っていたんだと思って」と語る。

 東京の大学に学び、売春を家業とする実家を嫌悪し、反発してきた娘が、活き活きと店を切り廻すという結末は、なかなかに複雑なものだが、苦さのなかにもカタルシスを湛えている。

 結末にはもう一案あったという。『噂の女』の脚本は、成沢昌茂と依田義賢の二人があたったが、依田は一連の騒動の後に、雪子が家を出るという結末を考えていたという。どちらの結末が優れていたか。家出は分かりやすいが安易な気がしないでもない。

 この作品に溝口は気乗りせず、原作者の川口松太郎を困らせた。「俺だって溝口のものだと思うから、忙しい中書いているんだ」と云う川口に「しかし、あなたは世界的文豪じゃないでしょう」と云ったそうな。

 はたして、冗談だったのか、海外の映画賞を多数獲得した自信が云わせた言葉だったのか。

 昭和三十一年五月、溝口健二は『大阪物語』の準備中、単核細胞白血病にて、京都府立病院に入院し、八月二十四日に永眠した。

「忘れもいたしませんが昼ごろでしたかね、そいであの、田中さん、田中さん、あの、溝口さんが危篤だからセットをね、休んでいいから見舞いに行ってあげて下さいと、京都へ。藤本さんがそのころプロデューサーでいらっしゃいました。わたしはね、まだその、毎日(新聞)からそういうことは聞きましたけどね、まさかと思いますからね、お年もまだそんなにお年でもないんですから、いえ、お見舞いに行くよりね、こうしてお仕事してたほうが、お仕事断わって行ったって先生ね、お喜びになりませんよってね。わたしもそんな調子でですね、藤本さんにお断わりしたんです。

田中絹代と溝口 『浪花女』での一コマ。生涯独身の田中(写真右)には、溝口が夫のような存在だった

 そして、あの、まあ、行かずにおりました。それから、翌々日でございましたかね。また、セットにおりましたらね、そこは泣くシーンじゃないんです、わたしが。笠さんと一緒で忘れもしません、泣くシーンじゃぜんぜんございませんがね。そうしましたら、藤本さんからお亡くなりになったということを聞かされたんです。さすがにその時はね、ショックですかなんですかね、もう現在仕事が進行している最中でしたわね、そういう顔を出すわけにも行きませんよ。(中略)やはり先生の死というものをすごくその時はですね、やはり長い間仕事の上の女房だという、亭主に死なれたと、仕事の上ではありますけれどね、夫に死なれた妻というものは、こういうものかというね、ものを感じました」(『ある映画監督の生涯---溝口健二の記録---』新藤兼人)

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