Close up 吉田麻也
VVVフェンロ「焦燥感を 力に変えて」

フライデー プロフィール
名古屋グランパス時代に訪れたことがあるという馴染みのホテルで―。自身を細かい性格だと分析する

  '88年、長崎県に生まれた吉田は小学校卒業を前に名古屋グランパスU―15のセレクションを受け、難関を突破した。すでに165cmもあったという長身が指導者の目を引いたのだった。

「『技術は練習すればうまくなるけれど、その身長は生まれ持った武器だから』って、指導者の方がハッキリと言った。厳しい世界なんだなと実感しました」

 親元を離れて、愛知県の学校へ進学し、3年間を過ごすと高校進学後はそのままグランパスU-18へ。 '07年には順調にトップチームへ昇格するのだった。

「中学時代は、僕がサッカーをすることで、家族に経済的な負担をかけているという意識がありました。『こんなにしてもらって、プロになれなかったら申しわけないな。絶対にプロになろう』って思い込んでいましたね。僕は中学、高校とボランチでプレーしていたので、MF登録でプロ入りしたんです。でも、開幕前、CBの選手に故障者が続出し、CBとして出ることになりました」

 巡ってきたチャンスを摑む---。〝持っている男〟たる所以はここにある。吉田はその後、レギュラーを手にし、'08年、'09年シーズンは不動のCBとなった。活躍を認められ、23歳以下の代表で戦う北京五輪のメンバーに招集される。しかし、初の世界大会となった五輪では、予選敗退決定後の消化試合に出場したのみ。悔しさの残る大会だったが、得るものは多かった。本田(25・CSKAモスクワ)や長友佑都(25・インテル)、内田篤人(23・シャルケ)など、A代表で世界を睨む仲間と生活をともにし、刺激を受けた。

「W杯へ行きたい」---。

 '09年12月、半年後に迫った南ア大会へと照準を合わせ、吉田は募る思いを胸にオランダ・VVVフェンロへ移籍する。

「周囲からは『まだ早い』って、けっこう反対されましたね。でも自分にとっては、『今がその時なんだ』という気持ちが強かった。名古屋でプレーすることに魅力を感じていたし、名古屋が大好きだったけど・・・・・・。今、ここを出なければ、もう出られなくなるんじゃないかって」