新聞広告の不穏な未来と、
新聞ジャーナリズムの責任感の狭間で―

 加藤完治という人物を御存知だろうか。

 旧平戸藩士の家系、東京で炭問屋を営む加藤佐太郎の長男として生れ、東京府立一中、第四高校から、東京帝国大学工科大学応用化学科に入学、後に農科大学に編入している。

 当時としては、とびきりのエリートと云ってよい学歴である。

新聞広告
新聞広告の売上は減少の一途
(08年は前年比約88%の8,276億円/電通調べ)

 加藤完治の学歴を知った時、私は驚いた。驚くとともに自分の思い込みの浅薄さが嫌になった。加藤のことを、高等教育とは関係のない野人だと思い込んでいたからである。

 インターネットの画像検索を見てみてほしい。顎鬚を伸ばし放題にして、国民服を着た、加藤の貌を見る事が出来るだろう。

 加藤は、農科大学卒業後、内務省等に勤務した後、在野の農業指導者となった。

 その名前がいまだに記憶されているのは、満州事変後の満蒙開拓移民において、大きな役割を果たしたからである。加藤は、農本主義思想とともに、寒冷地での農業について訓練を行って、移民たちを送りだした。

 蘆溝橋事件により日中戦争がはじまると、昭和十三年に満蒙開拓青少年義勇軍が結成され、加藤はその中央訓練所の所長となった。●凡社の百科事典によると、敗戦までに加藤が満州に送りだした青少年は、約二十二万人だという。

 もちろん、現在の安全地帯から侵略云々と語る事はつつしみたいし、当時の人口過密や小作農の苦難といった問題も勘案すべきだろうが、二十二万人という数字は大きなものだ。そのうち何人が帰ってきたのか、という安直な問いは、敗戦後二十二年間生きた加藤の胸に鋭く刺さっていただろう。

加藤完治の知られざる経歴と
朝日新聞の連載「新聞と戦争」

 とはいえ、戦後も加藤完治は農業指導者として活躍している。丸山眞男と福田歓一が編んだ『聞き書 南原繁回顧録』に、敗戦直後、東京帝大総長となった南原が、学生の食生活を支えるために、加藤完治に依頼して田無の荒地でサツマイモ、ジャガイモ、豆などを作る指導をしてもらったという話が出てくる。

 連合軍との講和にさいして、ソビエトなど社会主義陣営も含めた「全面講和」を主張したために、吉田茂総理に「曲学阿世の徒」と罵られた東大総長は、なかなかの現実主義者であったのだ。

 加藤完治が、朝日新聞社が主催する、「朝日賞」の受賞者であることを私が知ったのは、平成十九年四月から約一年にわたって朝日新聞夕刊に連載された「新聞と戦争」という戦前戦中報道の検証記事によってであった。

 朝日賞は、朝日新聞が主催する賞のなかでも、もっともプレステージの高い賞であり、同紙のホームページには「受賞者のなかから後年、ノーベル賞や文化勲章を受けられた方も多く出ています」と記されている。もっとも、現在、ホームページの受賞者のリストには加藤完治の名前はない。

 一方、「新聞と戦争」は、朝日新聞が満州開拓にかかる啓蒙書『新農村の建設』や特派員による開拓村の現地報告『大陸国策 現地に視る』、また、開拓をテーマにした小説をたくさん発行し、加藤の講演集も発行していたことを記している。

 報道機関、ジャーナリストが、戦前、戦中において、今、振り返ればかなり疚しい事をしていた事は、誰もが知っている。国の命運を賭けた戦争が進行しているのだから、行き過ぎた荷担をしたとしても、仕方がないだろう。

 とはいえ、その後ろ暗い過去を直視し、暴露し、検証することは、勇気だけではなく深い意味での責任感が必要だろう。

 その点を評価した上で、なお問いたいのは、なぜ朝日新聞は、このような企画を、一年にわたって掲載したのか、という事だ(現在は昭和期についての検証記事が掲載中)。

 それは、過去にむけての視線というよりも、むしろ未来に、新聞というメディア、新聞の社会における地位の明日へと、その視線がむけられているからのように、見える。

 朝日新聞が発行している月刊誌『Journalism』も、同紙の自意識、自己認識を視る上では、興味深い媒体である。同誌の昨年九月号の特集のタイトルは、「広告はどこへ行った」。かなり堅い誌面構成であるからこそ、笑えない、切実さが顕われている。

 「広告主の立場から語る 新聞、テレビの広告の行方」という記事では、広告主で構成する団体、社団法人日本アドバタイザーズ協会の専務理事、小林昭のインタビューが掲載されている。東芝で広告部長を担当していた小林の舌鋒は鋭い。

「ただ、新聞経営者の努力のなさが、新聞広告をだめにしていると僕は思っています。広告主に対して、真面目じゃない。正面から相対してない。僕はよく言うのですが、雑誌も経営が大変ですが、編集とのタイアップとか、編集者が広告主のことをよく勉強しています。
新聞社は、いかに経済部の記者で、自動車産業を担当していたとしても、企業としてのトヨタ自動車、日産自動車に目を向けるだけです。広告を出している企業としてのトヨタ、日産という目では見ていません。雑誌は編集者がそういう目で見ている。この差は大きいですよ」

 記者が、企業を広告主として見ないことが、新聞ジャーナリズムの根幹である独立性を担保しているのではないか、というインタビューアーの反問にも手厳しく応じている。

「崇高なジャーナリズムで取材をしてきた貴重なニュースでも、その取材の成果として新聞に掲載しているのは、通常はごく一部でしょう。後は捨てているのではないですか。記事の二次、三次利用をきちっとやっていませんよね。これはもったいない。原価はかかっているのに、それを捨てているのです。
これは経営者としては最低です。早めに気がついて、ちゃんとやらないと、中央5紙が中央2紙になってしまいますよ。笑い事ではなくて」

 小林は、新聞広告は、コストがかかるのに、その効果がまったく測り難い事も指摘している。カラー十五段で約五千万円というコストを、広告担当者が、明確に説明できない、とも。比較的、効果が測り易いインターネット広告の優位は、揺るがないと指摘する。

 サブプライム・ショックの後、広告への依存度が高かったアメリカの新聞は、大きな打撃を受けた。シカゴのサン・タイムズなど地方の名門紙が、破産法の適用を申し込み、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストも人員削減や支局閉鎖を進めている。日本の新聞の明日はどこにあるのだろうか。

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