「飯を食うな」名優たちを極限で演じさせる監督魂
溝口健二Vol.9

vol.8はこちらをご覧ください。

 溝口健二は、『お遊さま』クランクアップ前後から、『雨月物語』の映画化を考えていたという。シナリオライターの依田義賢の証言によれば、「『蛇性の婬』に『菊花の約』を加えてモーパッサンの『勲章』を入れる」という構想だったという。

「ただの怪奇じゃだめですよ、神韻漂渺たる怪談をお願いします。戦争の悲惨というようなことがなまで出てもこまります。イデオロギーをむき出しにするのはやめて下さい」(『溝口健二の人と芸術』)と注文しつつ、美術の伊藤熹朔には「僕はダリで行きたいんだがね、伊藤君」「いろいろなことをやって見ようと思うんですよ。面白い手もあるでしょう、怪談の」(同前)と語っていたらしい。やはり、はじめは確固たる演出プランはなかったのだろう。

 川口松太郎が原作を書き、それを依田が脚本に書き直し、クランクインしたが、現場ははじめから揉めたという。

 京マチ子のスケジュールの都合で、「蛇性の婬」のパートから撮影を始めることになったのだ。この場面は、映画『雨月物語』のクライマックス、結末を控えての、もっとも重要な部分であり、それだけに、演出に費やすエネルギーも莫大なものであった。

「私は、映画と結婚したのです」

 映画の撮影というのは、軽いパートから取っていって、次第に重い、大きいシーンの撮影に入っていく。

 特に、溝口はなるべく台本の順序を守って撮ってゆく事にこだわる監督であり、のっけから、後半の、難しい―能の様式を導入する、というような試みをしたので、余計に厳しかったと思うその試み自体は、かなり見事に成功しはしているのだけれど―部分から入るのは困る。

 けれども、大映のドル箱女優である京マチ子のスケジュールに神経を尖らせている、古くからの盟友永田雅一の意志も尊重しなければならない。

 結局、溝口がとった選択は、「ちゃんと充分な製作態勢が出来たら、どこからでも入る」というものだった。

 この「ちゃんと充分な態勢」というのが、クセ物なのだ。

 溝口は伊藤に命じて『蛇性の婬』の舞台となる、朽木屋敷のセットを造らせた。座敷は修学院離宮を参照したのだが、庭の敷石の置き方が法にかなっていないと溝口に批判された伊藤は、敷石を桂離宮と同じ形に並べ直したという。

 漸くセットが出来上がり撮影がはじまる。若狭を演じた京マチ子の存在感は凄まじく、田中絹代をして影を薄くさせるほどであった。にもかかわらず、溝口は「マチ子は発音が少女歌劇みたいでいけません」と云ったというのだから恐ろしい。

 相手役の森雅之も熱演した。

 若狭に誘惑され、その魅力に耽溺しきった後、老僧の教示により亡霊につかれている事を知り、刀を振るい、倒れる。この激しいシーンで、溝口は何度もテストさせて、森を満身創痍にさせた。流石に森は、「帰る」と云ったが、溝口は平然として、「死相が出なきゃいけないのだから、飯を食わないでください」と言い渡したという。

 最終的に第十四回ヴェネチア映画際で銀獅子賞を受賞したのであるから、関係者全員が救われたのであるけれど。

 五所平之助の『マダムと女房』で初のトーキー女優をやり、早川雪洲の『太陽は東より』で、邦画初のキスシーンを演じ(とはいえ、唇にではなく額への接吻だったが、当時としては、それだけでも、大スキャンダルだった)、川口松太郎原作の『愛染かつら』で、空前の大ヒットを飛ばした田中絹代は、前回に記したように溝口と出会うことで女優として大飛躍を遂げた。同時にまた、溝口も田中を得た事で、映画史に残る監督になったのである。

「私ほど、いろんな監督の下で仕事をさせてもらった女優もいないのではないかと思うのです。大監督といわれた先生たちにも、たいがい使っていただいております。そういう先生がたは、作品のトーンこそ、めいめいに違っておりましたが、仕事についてのきびしさだけは、おしなべて共通しておりました。/そういうきびしい先生たちに、若いときからきびしくたたかれ続けてきたために、私は成長が止まってしまったのだと、これはよく人さまに申し上げる冗談です。/あれは、溝口先生の『山椒大夫』の撮影のときのことでした。

 安寿と厨子王の哀れな母親である玉木の役をいただいた私には、前もって先生から『カロリーを抜け』と、減食の厳命が出ておりました。ご注文通り、私はすっかりやせ衰えて、撮影の終わりごろには、なにか栄養のあるおいしいものを早く口にしたくてたまらないくらいになっていました。/最終撮影は、三重県の鳥羽海岸でのロケで、玉木が子供たちの名前を冬の荒海に向かって悲しく呼び続けるシーンでした。

 それが午前中、無事に済んで、あとは夕方から京都撮影所のスタジオへ戻って、この場面のアフレコだけということになったとき、私はつい安心して、京都の街でビフテキの昼食に飛びついたのです。/ところが、さて録音になったら、『どうしたんだ、田中君の声が、午前中と違うじゃないか。なぜ、そんなにツヤがあるんだ』と先生がいいだされたのです。

 先生は、それを私に向かっておっしゃらず、助監督に対して、まるでその人の不手際ででもあるかのように、怒りをぶつけておられるのです。むろんビフテキの一件はご存じではありません。助監督もおろおろするばかりです。よし、では夕食抜きで、屋外でやろう、ということになりました。二月の京都の、寒い寒い風の中です。

 しかし、何度やり直しても、お気に入りません。たまらなくなって、とうとう白状してしまいました。とたんに、先生の顔がサッと紅潮して、なんともいえぬ表情になりました。あのお顔だけは忘れることができません」(『私の履歴書』)

『御室』 映画撮影所もあった京都市右京区の御室で、溝口健二はその晩年を過ごした

 新藤兼人は、溝口から、冗談めかした口調ではあったが、「僕は田中君に惚れている。なんとかならないか」と相談された事があるという。実際、読売新聞で映画欄を担当していた記者が電話をしてきて、「溝口さんと結婚なさるんですね、結納の日は何時ですか」と田中に訊ねた事があるという。田中は生涯、独身を貫いた。「私は、映画を夫として選び、映画と結婚したのです」(同前)と記している。


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