Vol.1 「そして、メディアは軽くなった?
勃興するアフォーダブル・メディアとリンク・エコノミーによる新しい経済圏」

インターネットが普及し、ユーザー数も当初とは比較にならないくらい爆発的に増大した。
あらゆる場所と人々がつながったいま、インターネットを利用するということは、ただ検索や買い物、情報発信のためだけではなく、社会そのものを変える可能性にも満ちている。
実際に、新しい産業が生まれ、旧来の産業のなかには価値転換を迫られているものもある。あまりにも変化の速度が激しいため、我々自身がその状態に適合する術を知らない。

本連載ではインターネットを介在させることで、これまで見過ごされてきた価値や経験などのヘリテージ(財産)を、新しい未来へとどう接続し直していくのか、コミュニケーションやメディアの変遷を通じて探ってみたい。
例えば、それは筆者のフィールドであるメディア産業を軸に、金融、製造など、多岐にわたる分野で起きつつあることを取り上げながら、新しい環境に我々が適合するためのヒントを探っていきたい。

アフォーダブル・メディアの勃興

 皆さんは自分がなにか新製品を購入する際に先に情報をウェブから収集したりしませんか? わたしはそうです。あるいは紙の雑誌も参考にしますが、まずウェブで検索をします。特に趣味性が強いものや前提となる知識が必要なもの、あるいは自分がまったくその分野に明るくない場合、ウェブ上での評価を閲覧することが日常的な習慣となっています。

 そして、検索で表示されたいくつものサイトを読み比べたり、CGMサイト[註1]の意見を読んだり、有志がつくるBBSなどを読みあさり、なんとなく当該分野ではどの商品が優れているのか、あるいは自分の予算ではどれがお買い得なのか理解を深めたり、あるいは迷宮に入ってしまうわけです。 

 そして、ここが紙媒体との決定的な違いですが、購入するときはウェブブラウザの新しいタブを開き、溜まっている楽天ポイントなどを確認しつつ、あるいはヤフオクで購入可能かどうか調べてみます。そうして購入に至った品物ですが、はてさて、どのサイトが決定的な後押しになったのか思い出せません。

 もしかしたら、その製品を所有している一般ユーザーのブログだったかもしれませんし、あるいはどこかのポータルサイトで見かけたレビューだったのかも。もしくは熱狂的なユーザーがつくった評価サイトだったのか……。

 インターネットそのものが存在していなかったころは、その商品を購入する際の決定打になった媒体(特に紙の雑誌)の記事を覚えていたものですが、いまはまったくわかりません。とにかく気にも留められないほど多くの情報が溢れていて、どのサイトを読んで商品を買ったのかわからないけれど、確実に背中を押してくれたのが、その記憶にも上らないサイトだったりします。

 現代はそのようにあまりにも気軽すぎて気にもならないメディアが溢れています。作り手の参入障壁がきわめて低いため、まるでビッグバン後に新星があちこちで生まれるようにアマチュア・プロ問わず商業・非商業入り乱れてのメディアが誕生し、無数の個人の集合体がメディアとして発信を続けています。

 インターネットが存在していなかった時代にすら「情報過多」「情報洪水」などと叫ばれていましたが、いまは、ひとつずつを検分できないほどの「情報塵」が検索エンジンのリストにびっしりと敷き詰められた状態で、さしずめ「情報カオス」、もしくは「情報地獄」なのかもしれませんね(でも、検索をかけると同じような話のコピーだらけで意外とバリエーションは少なかったりします)。

 旧来型のメディアにおいて、たとえば出版であれば、構造的に過剰生産のスパイラルに陥り、物理的に有限である書店の棚で収まりきれないほどのメディア(=紙の本)が入り乱れています。

 放送はさすがに設備投資以外にも法律や権益団体、業界慣習等により護られていることと、インフラとなる電波は有限資産であるため、チャンネル数が紙媒体のように乱立するということはありませんが、CS、BS、さらにはYouTubeやニコニコ動画等にアップされた動画の数をあわせてみると、これもまた選択の幅は多様を極めています。

[註1]CGMサイト
CGMとはコンシューマ・ジェネレーテッド・メディアの略。つまり、消費者がつくるメディア。日本では有名な巨大掲示板2ちゃんねるもCGMのひとつ。ほかに家電などの価格とユーザー情報が寄せられる「価格コム」、料理のレシピが投稿される「クックパッド」、質問者に回答する「ヤフー知恵袋」などが代表例。メディアのお仕着せではなく、あくまでユーザーの情報提供によって成立するため、UGM(ユーザー・ジェネレーテッド・メディア)などとも呼ばれる。

 そんな旧メディア群に対して、インターネットやモバイル等の新興メディア群を、わたしは「アフォーダブル・メディア」と名付けました。

 アフォーダブルとは「親しみやすい」「手が届きやすい」といった意味がありますが、この場合、消費者にとってだけではなく、発信側にとってもお手軽に立ち上げられるメディアを意味します。ひいては、アフォーダブル・メディアの時代には、意識にも上らないくらいメディアの存在価値が軽くなってしまったわけです。

 そして、これからは旧メディアに代わって、ますますアフォーダブル・メディアが大勢を占めると思っています。このようななか、ブランドを築きつつあるアフォーダブル・メディアのなかの新興勢力も登場しています。

 仮に旧来からある知名度の高いメディアを「ブランデッド・メディア」と呼ぶとします。そのブランデッド・メディアは、地勢的に言えばおびただしい数のアフォーダブル・メディアの大海のなかに浮かぶ孤島なわけで、メディアビジネスを営む以上、アフォーダブル・メディアの存在を無視できません。

 ウェブ上の情報は新聞店の配達員や書店員ではなく、さまざまな巨大ポータルサイトやソーシャル・ネットワーク[註2]等を介しながら、著名なメディアや有名人、自称・作家やジャーナリストから名もなき個人までもが入り乱れて運んできます。

 多くのアフォーダブル・メディアは個人や小さな単位の組織が運営しているわけですが、ブランデッド・メディアは、そのようなメディア群島と相互共存し、自らが発信した情報をアフォーダブル・メディア経由でサッカーボールのように読者までパスしていくことが不可欠になっています。

 そのため、21世紀のメディアは、アフォーダブル・メディアであろうが、ブランデッド・メディアであろうが、いずれも情報の海のなかで孤絶することよりも、アフォーダブル・メディアとの連携を軸に戦略を立てたほうがいいでしょう。

 理由は、仲介業だらけのリアル社会と違って、取次者へのマージンを気にせず、誰かにお金を払うペイド広告などに比べて少ない投資効果で情報発信、宣伝・広報を行えるからです。

 そして、検索エンジン経由で読者を集めたり、共通の興味をもつコミュニティを見い出すことができるのです。

 検索エンジンやソーシャルメディアなどの情報プラットフォームを数社による寡占と見る向きもありますが、それはこれまでのリアル社会でもマスメディアが敷いてきたシステムであり、あらゆる “モデル”は寡占を目指すため、結局今までのモデルが寡占化され、それとは別に新しいモデルが組み上がり、それがまた寡占を目指しています。

 だから、旧来システムの恩恵を受けることのない新規参入者は従来のものとはまったく別のシステムを創出するか、いま支配的となっているモデルを検分し、そのなかで適合するビジネスを生み出す必要があります。

[註2]ソーシャル・ネットワーク
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)とも呼ばれる。基本的にソーシャル(社交)という名の通り、人的ネットワークが軸となって、その上を情報やコンテンツが流れるタイプのもの。ライフログと呼ばれる日々の出来事を書き連ねたり、情報発信に利用するなど、用途はさまざまであるが、そのスケーラビリティを鑑みると多様な波及力を秘めている。
この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら