平松邦夫×内田樹「『落ちこぼれ』こそがイノベーションを起こす」

「教育は誰のためにあるのか」とことん語ろう 最終回

内田: 西部劇見てると、開拓時代って、開拓地に人が集まってきて町ができると、まず最初に教会をつくりますね。町の真ん中に、共同体の統合のシンボルとして教会を建てる。その次が学校なんです。精神的な統合の中心を作ったら、次の仕事は次世代の育成なんです。東部の方の師範学校かなんかに手紙を出して先生を呼んでくる。先生が来たら、町の人たちがみんなでお金を出し合って、その先生にお給料払って、子どもを教えてもらう。これが学校教育の基本の形だと思うんです。

 自分たちの共同体の継承者を育てるために学校をつくる。子どもの教育は共同体の義務としてとらえられている。子どもたち一人ひとりの自己利益の確保のための機関じゃないんです。日本の場合は、西部の町の教会にあたるものがないですけれど、まあ神社仏閣がそれを担ってくれればそれでいいんですけれど、それがなければ、まず学校を地域社会の中心にするというのは、判断として正しいと思います。

平松: ほんと、社会総がかりで子どもを育てるというのは、今までもずっといろんなとこで言ってきてるんですよね。今年は、そのモデルとなるケースを一つどこかにつくれればいいなあと思っていて。最初はテスト的に起こしていく地域を決めて、来年度予算で始めよう、と。今、それをちょうど考えているところなんです。

内田: 一時期は逆行してましたからね。小学校に不審者が入ってきて、殺傷事件があったりした影響で、学校は全部門を閉ざしてしまった。ぶ厚い鉄の扉を立てて、ゲーテッド・コミュニティみたいな感じになって・・・。地域に住んでいる周りの人たちを「潜在的な犯罪者」と見なして、地域住民から子どもたちを守るという考え方はよくないです。実際には、公共施設の安全というのは、そこに多くの人が普段から出入りすることで守られるんですけれどもね。それがいちばん安全。

平松: で、なおかつ、誰が入って来ても「あの人どこの人や」と分かる社会。

内田: そうなんです。顔見知りの人たちが絶えず出入りしているのがセキュリティ上はいちばん効果的なんです。閉じちゃダメですよ。

平松: そういった地域のつながりが、いわばセンサーになっているわけで、結局はそういったものがコミュニティだということになるんだと思いますね。ストレンジャーがいれば、「ストレンジャーである」というサインをしっかり周りの人びとが共有し合えるという。

瀬尾: 東京の杉並区の和田中で「夜スペ」をやった藤原和博さんも、やはり同じようなことおっしゃっていました。今の日本の社会の中では、やはり学校がコミュニティ再生の鍵になるだろう、と。今まではコミュニティが学校を支えていたけれども、それがなかなか難しいんで、まず学校の中にコミュニティをできるだけ入れるようにする、と。地域社会からいろんな人が来て、例えば勉強を教えたりだとか、親も教室に来るだとか、いろんな大人たちが一緒に学校に入れる仕組みをつくって、そこで新たにコミュニティを再生するんだみたいなことをおっしゃってましたね。

平松: ただ大阪の場合は、さっきも言いましたとおり、地域コミュニティがまだ厳然と、しっかりしたものが残っていますから、子育てとか教育とかをより多層化していくための拠点として、学校という単位を使っていくというのは、わりとスムーズに実行できるような気がしています。無理やり新しくコミュニティをつくるということじゃなく、地域の思いが、学校を拠点にすればきっと、さらに多層に広がっていくだろうと考えているんですね。

内田: 阪神・淡路大震災の時に、僕は芦屋で被災したんですけども、学校がすべての救援活動の中心でしたらね。被災者の受け入れも、救援物資の分配も、通信も、医療も、すべて学校が中心でした。地元の、うちの子どもが行ってた小学校の体育館でしばらく暮らしたんですけど、その時の校長先生の献身的な働きを見てて、本当に感動しましたよ。地域の中にあって、とりあえずみんなが出入りして、顔見知りも多くて。