平松邦夫×内田樹「『落ちこぼれ』こそがイノベーションを起こす」

「教育は誰のためにあるのか」とことん語ろう 最終回

内田: いやあ、僕に言わせれば、彼はやっぱり「落ちこぼれ」ですよね、悪いけど。だって、市民性ないから。学校に行かせないで、価値観を共有している両親が家の中で育てるというのは、子どもにとってはすごく危険なことなんですよ。多様な価値観が混在している場におかれないと。アサンジさんは壊れてると僕は思うけど。

瀬尾: 麻生(太郎)元総理なんかは、福岡にいた時から自分のために小学校をつくってもらったという伝説がありますけどね(笑)。6人だったか10人だったかしかいない・・・。

内田: そういうことをしてはいかんですね。

一同: (笑)

教師は子どもを、行政は教師を信じたほうが教育は機能する。

瀬尾: まあ、それは余談ですけど、でも、本当に「落ちこぼれ」にとっては、さっき内田先生がおっしゃったような、教師がいい面を見つけてくれて担保してくれる、あるいは、信じてくれると、すごくうれしいですよね。「こいつ、いつかなんかするかもしれない」とか、「なんかいいとこあるかもしれない」と言ってくれるってのは。

内田: うれしいというか、教師の仕事って、最終的にはそれだけなんだと思うんです。子どもの潜在可能性がいつか開花することを断固として信じる。外から見る限り、どうもまるで才能がなさそうに見えても、それでも「絶対に何かある」と断定する。これは、理想論ではないんです。経験的に言っても、そのほうが教育効果が上がるんですよ。子どもの潜在可能性を信じたほうが。

平松: ほう。

内田: 教師が「絶対に信じる」という姿勢を貫けば、非情に高い確率で才能は開花するんですよ、本当に。でね、「まあ8割ぐらいは信じるけど、2割ぐらいはだめかな」とか思っていると、その分だけ下がっちゃいます。全員に、100パーセント才能があると思っているほうが歩留まり率が高い。結局才能なかった・・・と思っても、その人たちだって、僕の知らないところで・・・極端な話、70歳や80歳になったりとか、あるいは死ぬ間際に思いがけない才能が開花するかもしれない。教育のいちばんの基本ってのは、とにかく子どもの可能性を信じることですよ。これは理想を語ってるんじゃなくて、実践的な教訓ですよね。絶対にそのほうがうまくいく。

平松: なんか分かります。(教育行政を預かる)大阪市長として、分かりすぎていいのか、という部分がどっかにありながらも、でもやっぱり子どもたちを信じないことにはね。子どものほうが感受性、いわばセンサーが非常に発達してるはずなんでね、動物的に。だから、「この先生、自分を信じてくれてる」という波長がきっと受け取りやすいんでしょうね。

瀬尾: 一方で教師、教える側も自分に自信があるほうがいいですよね。というか、萎縮している環境では、生徒を信じるというのはなかなか難しいと思うんですが。