平松邦夫×内田樹「『落ちこぼれ』こそがイノベーションを起こす」

「教育は誰のためにあるのか」とことん語ろう 最終回

 だから、もし本当にクレーマー対策をやるんだったら、学校に法務専門のセクションをつくって、クレーマーが来たら「あ、あっち行ってください」って、弁護士のほうに回せばいい。実際に大きい大学なんかそうしているんです。クレーマー親に対応する法務部というセクションがあって、法学部出の職員や弁護士がいて、カウンターで「いらっしゃい」と待ち構えて対応している。でも、これは教師の仕事ではありません。

平松: 今、大阪市の教育委員会でつくっている新しい教育振興基本計画の、基本的な考えを表すキャッチフレーズは「ええとこ伸ばそう」ということなんです。そういう方向性を出していこうという形になってきたのは非常にうれしいんですが、じゃあ逆に、「何がええとこやねん?」みたいな複雑な話も出てきたりして・・・。

内田: いいとこっていろいろなんで。よく分かんないんですよ。

一同: (笑)

子どもの潜在的な能力を絶対的に信じること。

内田: 僕はね、基本的に教師のいちばん基本にあるべきものっていうのは、自分が教えている子どもたちの潜在的な素質に対する信頼だと思うんです。絶対的な信頼。いつか花開く潜在可能性が子どもの中にある、と断定する。でも、それがどんなものかは予測がつかない。どのタイミングで、どんな才能が開花するかというのは、本当に分かんないんです。何がトリガーになって開花するのか分からない。「こうすれば必ずみんな花開く」万人向きの方法なんてないんです。

瀬尾: そういう意味で、大事なのはやっぱり「落ちこぼれ」ですよね。いわゆる数値化した評価からすると、「落ちこぼれ」と言われる子どもたち・・・。

内田: 不良品ですよね。

瀬尾: そうですね。もし教育の現場が缶詰工場のようなものだとすると不良品なんだけど、実はこれが、今は数値化できない才能を持ってるかもしれない。

内田: 今の「落ちこぼれ」というのは要するに、学校にいる一定の単位時間内、卒業までの年限の中では才能が開花しなかっただけであって、卒業した1年後に開花する可能性もあるわけです。だから、これを「不良品」と言って切り捨ててしまうのって、本当に間違ってるんですよ。いつどんなきっかけで才能が開花するかって、本当に分からないんですから。

ジュリアン・アサンジ〔PHOTO〕gettyimages

瀬尾: 最近話題になっている「ウィキリークス」、あれを創設したジュリアン・アサンジは、実は義務教育をほとんど受けてないそうです。

内田: ちょっと問題ですよね。そのせいで・・・って感じで(笑)。

瀬尾: ええ、お母さんが家庭教師みたいな存在というか・・・。

平松: すべての社会になってる。

瀬尾: そうです。でも実際、「落ちこぼれ」が実は社会の・・・。