Close up 歳内宏明
福島・聖光学院「負けない男でいたい」

フライデー プロフィール
聖光学院に進学した理由は「シニア時代の監督の勧めです。1学年上の先輩が3人いたのも決め手でした」

「ちょうどグラウンドで練習中でした。何が起きたのか分からなくて、ただ監督の避難指示に従ったのを覚えています」

 その夜、部員たちは蠟燭の明かりで夜を過ごした。余震は絶え間なく続き、野球部寮のある伊達市内も停電と断水に見舞われていた。チームは一時解散することになり、間もなく歳内も両親が住む兵庫県尼崎市に帰省する。

「知人の車を乗り継いだりして、なんとか実家に辿り着きました。でも、実家にいたのは5日ほどです。自分だけが福島を離れていていいのかと思ったんです。学校に戻る時、両親は『しっかりやってこい』と言ってくれました」

 野球部が練習を再開したのは震災から2週間が経過した3月25日だった。練習と並行して、歳内らナインは支援物資の運搬などのボランティア活動を行った。

きっかけは、初めての涙

 先に述べたように、歳内は兵庫県尼崎市の出身である。少年時代から祖父母の家によく通っていたという歳内は、そこから自転車で約10分ほどの距離にある甲子園球場に大会のたびに足を運んだ。

「'06年夏の駒大苫小牧(南北海道)と早稲田実業(西東京)の決勝戦はアルプススタンドから駒苫を応援していました」

 視線の先のマウンドに立っていたのは駒苫の田中将大(22)。今では楽天のエースとして〝球界の顔〟となっている田中は、当時中学1年生の歳内が所属していたシニアチーム「宝塚ボーイズ」のOBだ。つまり歳内の〝偉大な先輩〟になる。

「田中先輩がグラウンドに来ることが数度ありましたが、会話はなかったです。僕にとっては雲の上の存在ですから」

 中学3年時にはシニアの全国大会に出場し、聖光学院に進学。そこで大きな壁にぶつかる。理由は精神面にあった。

「シニアの強豪チームがひしめく関西から来たものだから、1年生の時は東北の高校野球を甘く見ていたのかもしれません。自分はすごいピッチャーだという自惚れがあったんです。でも強いチームが相手だと、当然抑えられない。少しでも打たれ始めたら、もう修正できない。いつも試合を壊していました」

 2年生になっても、4、5番手の投手という立場。だが、5月に彼を大きく変える出来事があった。