邪馬台国の所在地、「本能寺の変」の動機、徳川埋蔵金、坂本龍馬暗殺の真犯人、レイテ沖海戦での栗田艦隊の謎の反転・・・など、日本史には数多くのミステリーが残されています。
それは経済史においても同様です。
その中でも最大のものは、
「絹・米を交換手段とする経済がたったの10年で貨幣経済へと変わった」
というものです。
理屈では説明がつかない、あまりにも急激な変化。そしてこれが、現在まで800年もの長きにわたる日本の貨幣経済の基礎となっているのです。
いまの感覚でたとえると、ここ10年で急速に普及した携帯電話がその後800年間の社会の基盤となっていく・・・という感じでしょうか。とてつもなくスケールの大きな話です。
もちろん、この最大のミステリーには、平清盛が大きく関わっているのです---。
さて、【第一部】では、平家が日宋貿易で儲けたカラクリ、そして、清盛の秘めた計画についてお話してきました。
そしてこれから「平家が早々と滅亡してしまった理由」を解き明かしていきます・・・が、そこに至るために、冒頭で述べたミステリーの解決が不可欠なのです。
このミステリーの主役、それは「宋銭」です。
「宋銭」とは、その名の通り、中国・宋で作られた銅製の貨幣です。
平清盛が日宋貿易に精を出していた1170年代頃、日宋貿易における最大の輸入品はこの宋銭でした。貨幣そのものを買いつけていたのです。
ただし日本の朝廷がこれを通貨として公認したわけではありません。それどころか、たびたび使用禁止令を出しています(1187年・1193年)。
しかし、これに反して宋銭は国内で急速に普及し、日本を「たったの10年で貨幣経済へと」変えてしまったのです。
そして、それから実に戦国時代までの400年間、宋銭が通貨として使用される時代が続きました。
---ここでクエスチョンです。
なぜ、
1.宋銭という「外国貨幣」が
2.「政府非公認」にもかかわらず
3.「急速に」普及
したのでしょうか?