自衛隊とともに戦地へ。 従軍記者への「憧憬」

山下奉文  vol.1

 とりあえず、行きたいと思った。

 イラクへ自衛隊が行くというので。

 平成十六年のはじめの頃だった。

 従軍作家、というのではないけれども。

 でも、物書きと戦地というのは、深い深い因縁がある。

 スタンダールから、ヘミングウェイまで。

 アポリネールからオーウェルまで。

 古代、中世の勲しは遠くにすぎるけれど、近代国家というリヴァイアサンが登場した後、人間たちは、生活も思想も魂も根こそぎにする全面戦争から逃れる事ができなくなった。今もそうだ。であるとすれば、魂の探検家たる作家が、戦争に絶大な興味を抱くのは、当たり前に過ぎることだろう。

 やはり一度は、行ってみたい。行かなければ。

 自衛隊のイラク派遣は、その点で「好機」に思われたのだ。

 知り合いの編集者に声をかけたのだけれど、色よい反応はなかった。

 何しろ、フセイン政権が打倒され、治安が崩壊したために、現地の取材班はイギリスやアメリカの退役兵らが経営する警備チームの保護の下で、取材をしているような状況だった。危険である以上に、莫大な経費がかかるのだ。

戦争記事で文名を上げた作家たち

 結局、私は、フジテレビの知己を頼り、何とかサマワに行く途をつけて貰う事にした。

 現地に同行してくれるディレクター氏たちと、イギリスの傭兵会社の講習---車列が武装勢力に襲われた時どうするかとか、負傷の応急処置とか、機関銃の見分け方とかを教わった---を一週間受けたりしながら、機会を待っていた。

 考えてみれば当たり前なのだけれどイラクでの作戦は、カンボジアやゴラン高原のPKOとは、比較にならない程、危険な任務だ。

 官僚の法的な解釈や政治家の答弁は別として、イラクは、戦地であった。

 フセインの強圧の下、辛うじて維持されていた安定が溶解し、部族、宗派の対立、抗争がいたるところで起こっていた。国外からもジハードに燃える戦士たちが流入してくる。しかも、戦争続きだったから、武器だけはふんだんにある・・・。

 自衛隊の立場は厳しいものだった。

 小泉=ブッシュの強固な絆の下で、日本はこれまで以上に踏み込んだ、同盟国としての役割を果たさなければならなかった。

 同時に、イラクに派遣された部隊が、攻撃され、大きな損害を出す事になれば、少しずつ進めてきた、自衛隊の国際貢献の枠組みが一挙に崩れてしまう可能性もあった。慎重に積みあげてきた実績が、一瞬にして灰燼に帰してしまう。

 かつてない危険な任務につきながら、無傷で還ってこなければならないのだ。「成功」のハードルはきわめて高い・・・。

 何度か、直接に陸上自衛隊と接触していると、その緊迫が、ある軋みを帯びて市ヶ谷を覆っているように感じられた。

「陸自は、イラク以外の処にも行ってますよ」

 結局、イラクではなく、東ティモールに行く事になった。

 破傷風やなんや、いろんなワクチンを打ち、保険をたくさんかけて貰った。

 成田からデンパサールまで飛び、一晩、バリ島に泊り、翌朝、東ティモールの首都、ディリの空港に降りたった。

 滑走路はほとんど整地されておらず、タラップは、人力で押されてきた。

 蛍光色のチョッキを着た男に、先導されて入国ゲートまで歩いた。

 チョッキの男ははだしだった。

 ゲートを出ると、迷彩服に身を包み、機関銃を担いだ、自衛隊員が迎えてくれた。

 戦地だった。

 近代日本、最初の従軍記者というと、犬養毅と云うことになるのだろうか。

 明治八年、岡山から上京し慶應義塾に学んだ犬養は、学業の傍ら郵便報知新聞で記者として働き、十年、西南戦争に従軍して健筆を振い、言論人としての地歩を得た。

 日清戦争にも、多くの文人、記者が従軍している。もっとも成功を収めたのが、国木田独歩だった。九州佐伯の学塾で教鞭をとっていた独歩は、開戦の報とともに上京し、国民新聞に入社、軍艦千代田の従軍記者となった。独歩は、千代田の乗組員が、故郷の弟にたいして送る手紙という体裁で、艦内の出来事や戦況を読者に伝える『愛弟通信』を連載し、大好評を博したのである。

PKO 国連平和維持活動。1992年6月、PKO協力法に基づき、自衛隊が派遣された

 正岡子規もまた、日清戦争への従軍を望んでいた。

 陸羯南の庇護の下、『日本』、『小日本』の執筆、編集に携わっていた子規は、俳句の弟子だった五百木瓢亭が、衛生兵として従軍しながら、陣中日誌を寄稿していたことを羨望し、そしてまた上司の古島一雄も海軍に従軍する事になったため焦燥を覚えていた。

 戦争記事は、文名を上げる一大機会に他ならなかったのである。とはいえ、すでに体調は万全ではなく、不安も抱えていた。

 明治二十八年二月上旬、ようやく子規の補充となる記者が現れ、前線へと赴く手はずが整った。子規は、出発直前の二十五日、虚子、碧梧桐と社の近くで食事をし、二人に宛てた手紙を渡している。

「征清ノ軍起リテ天下震駭シ旅順威海衛ノ戦捷ハ神州ヲシテ世界ノ最強国タラシメタリ 兵士克ク勇ニ民庶克ク順ニ以テ此ニ国光ヲ発揚ス 而シテ戦捷ノ及ブ所徒ニ兵勢振ヒ愛国心愈固キノミナラズ殖産富ミ工業起リ学問進ミ美術新ナラントス 吾人文学ニ志ス者亦之ニ適応シ之ヲ発達スルノ準備ナカルべケンヤ」

 子規は、日本の戦捷に興奮するとともに、この勝利が日本の産業や、学術、美術などに一段の飛躍を促すだろうと予測し、自らも文学者として国勢の発展を共にしたい、という抱負を述べている。

 実際、政治思想的にみれば、正岡子規はかなり強烈なナショナリストだった。彼の師友は、陸はもちろん、森有礼暗殺事件のきっかけを作った古島、後に原敬の暗殺を予言している五百木、また蓑田胸喜とともに原理日本社を結成した三井甲之といった人物が揃っている。

 子規自身は、大陸に渡るや否や病臥してしまい、従軍の志を遂げるどころか、不治の床に就く事になったのだけれど。

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