稀代の「女形」に魅入られて、溝口が確立した撮影スタイル
溝口健二Vol.6

vol.5はこちらをご覧ください。

 左京区下鴨宮崎町にあった松竹の撮影所で、『残菊物語』は撮影された。

 原作者は村松梢風だったが、同作はごく短いものであり、映画化にあたって、ふたたび川口松太郎が活躍する事になった。

 川口は『人情馬鹿物語』や『明治一代女』、『鶴八鶴次郎』など自らの作品もたくさん書いているが、谷崎潤一郎の『春琴抄』など舞台化、脚本化でも辣腕をふるった。昭和最大の狂言作者であり、幼なじみである溝口健二と組んだ『残菊物語』は、その仕事のなかでも頂点と呼べるものだろう。

松竹下加茂 撮影所跡地 『残菊物語』が撮られた松竹下加茂撮影所(京都・左京区)の跡地は住宅街と化した

 『残菊物語』は、新派を代表する女形、花柳章太郎が主演に起用された。川口は大阪、プラトン社の編集者時代に、若手として台頭していた花柳章太郎と親しくなり、その交友は終生のものとなった。今でも新派の十八番として上演され続けている『明治一代女』は、川口が花柳のために書き上げた作品である。

 川口は、溝口から『愛怨峡』の次の企画の相談を受けた時、ためらう事なく花柳の登用を提案したという。舞台を中心に活動している花柳の演技を、フィルムに定着しておきたかったのである。

 三木滋人の撮影、水谷浩の美術は素晴らしく、今の目から見ても、その完成度の高さは比類のないものだ。

 特筆すべきは、花柳の演技に魅入られた溝口が、細かなカットでつなぐ手法を放棄し---それまでも溝口のワンシーンは長かったのだけれど---爾後、溝口のスタイルとして定着する、ワンシーン、ワンカットが確立された事だろう。

 フィルムは、敗戦後、女性の自己犠牲を賛美する作品として、占領軍により押収されてしまった。けれどもそのため、上映機会が少なかったので、現在、ほぼ原型そのままの形で鑑賞できるのだから、皮肉なものである。

もっと女の美しさを知らねばならぬ

 歌舞伎の名家に生れた尾上菊之助(花柳)は、女中のお徳(森赫子)に励まされて芸道に精進するが、お徳との関係を責められ、破門の身となり、関西歌舞伎からどさ回りと苦難を重ねた後、名優として喝采を浴びる、というのが『残菊物語』の筋立てなのだが、実際の撮影現場において花柳は、森と関係し、大きなトラブルを起こした。

 森は花柳との結婚を望むが、玄人上がりの勝子は動揺しない。そのうち花柳は、成瀬巳喜男監督の『歌行燈』で共演した山田五十鈴と懇ろになる。山田は森が到底比肩できない大女優であり、森は退かざるをえない。けれども本来、松竹の俳優である花柳は、東宝の看板女優である山田と並びたつ事は出来なかった。収入からしても、山田は花柳の数倍を稼いでいたのである。

 川口松太郎は、「花柳は俳優になるよりも、他の芸術家になった方がもっと成功したのではないか」と、花柳の著書『雪下駄』の序文で書いている。絵を画く事、人形を作る事を花柳は趣味としていたが、それはいずれも見事なもので「その色の美しさは類のないもの」であったし、その美感は衣装の選択において最も発揮されていたという。さらに芝居を見る時も映画を見るときも手帳をもっていて、あらゆる事をメモする熱心さを備えていたという。

 けれど花柳としては、自分の画業についてはなはだ不満だった。『唐人お吉』の絵を百枚以上も描いたにもかかわらず、満足出来るものは一枚もなかったという。芸妓が後ろ向きで三味線を弾いている姿を五、六十枚描いたが、それも納得がいかなかったという。

 ついに覚悟をきめて、木村荘八の下でデッサンを試みた。

「正午ちょっと過ぎに、木村氏があたふたと部屋へ入って来られたときにはほっとした気分になった。/『遅くなってすみません、出掛けに人が来たのでねえ、さ、さっそくかかりましょう』/研究生のいく人かはもう木炭を走らしている。寂として静まり返った室内はただ木炭の走る音のみ響く。

 ・・・『二十分』だれやらがこう言うと、どこにいたのかモデルが台上に立った。/はじめて見る女の肉体美---顔はそう美貌でもないが、肉体の美しさ、女の顔ばかりみていた私は、その美しさに恍惚として魅せられてしまった。・・・だれも厳粛にそして無言である。ただ紙の上に木炭の走る音・・・私も覚束ない手つきでノートを出して写生を始めた。(中略)---実に親切な指導である。/次の時間はモデルは二人になった。

 もう一人のモデルは前のよりいっそう美しく、一人は椅子により、一人は立姿のポーズである。私はその美しさに見惚れた。早春の陽ざしに面したその肌の色はまったく仏像のようにおかされぬ尊崇な気分が漲って、こんな美麗な肉体美を私はいままで見たことがなかった。/画というよりも人形を造ろうとする気持よりも、人間の体をなぜもっと早く見ておかなかった? 

 ・・・自分は女の線を写す職業ではないか、『女形』外型だけを写していて、中の肉体を未知的なものとして、なんで女が描けるものか、女形としてのデッサンに欠けているのではないか、そう思うと私の筆は一心に紙上に走る。/どたり! 重い響が立った。はっとしてみなの視線はモデルに集注した。立っている方のモデルが倒れた。二十分の約束の時間が十五分も過ぎている。軽い脳貧血らしい。

 静かな教室の空気は慌しさに破れて、モデルへ集まった人々はその足を高くして椅子の上で寝かせた。/モデル稼業の忙しさ、午前から隙のないタイムに追われて、食事のひまがなかったという。木村氏も私もまだ食事をしていなかったので、階下の食堂へ下りてそのモデルたち五、六人とともに食事をした。/私には食べられない安いライスカレーをうまそうに食べているモデルの生活、私は心の中で強く自己反省の決心をした。

 そして食事がすむとまたクロッキーの時間である。教室では元のポーズに立ったモデルが凛として立っていた。私はその美しい肢体にほとほと魂を打ち込んで、とくと考えぬいたのである。/画を描くためにも、また自分の女形修業の貧しさから言っても、すべて出直しだ! もっともっと女の美しさを知らねばならぬ。/裸をよく見る事、物は何事も赤裸々の深彫りの真の姿を見ることだ。

 それでなければほんとうの真理は掴めない。/私はその日のモデルの印象づけとして、尊い二、三の収穫をあげた。/私は自分の女形への自信が、大きな疑問符につつまれてしかも強く濃くひろがってゆくのを覚えた」(「女形への疑問」、『雪下駄』)

 画業を学ぶために入門したのに、結局は俳優、女形としての意識が前に出てきてしまうのが、可笑しいのと同時に、感動的だ。

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