2011.01.18

ハーバード大学教授 マイケル・サンデル
「これまでの私の人生の話をしよう」

2011「白熱教室」スタート!

 当日、2400人の生徒が講堂に詰めかけました。私はレーガンに負けまいと、考え得るもっとも難しいテーマを用意して、彼の横に座りました。ベトナム戦争や国連におけるアメリカの役割、18歳で選挙権を与えるべきか否かについて議論することにしたのです。レーガンはたとえば18歳での選挙権付与に反対でしたが、うちの生徒はみんな賛成でした。

 こんな状況で、生徒のほとんどが彼の意見に同意しなかったのに、私はディベートに勝てませんでした。レーガンが独特のチャーミングさで、会場のみんなを魅了したからです。

 彼は相手の意見を尊重しながら、それでいてきちんと反論していた。これこそがレーガンの最大のチャームポイントだったのです。生徒たちは議論の結果に納得したわけではありませんでしたが、私は彼のこの魅力こそが後に彼を大統領にする力となったと思っています。

 それほどまでに私は若い頃から議論好きだったのですが、高校生の時点ではまだ将来何をしたいのか、はっきりしませんでした。

 もっとも得意で関心があった科目は歴史で、次は政治と経済でした。哲学ではありません。ブランダイス大学に進学しても哲学をまともに勉強しませんでした。1年のときには、プラトンやアリストテレスの哲学を学ぼうとしましたが、あまりに抽象的で理解できませんでした。

 自分が、選挙など現実の政治に関心があることはわかっていたのですが、とりあえず政治、歴史、経済をきちんと勉強しておこうと思いました。

 私の読書体験は野球選手の伝記から始まります。というより小学校5〜6年の頃はこれしか読んでいません。ミッキー・マントル、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグなどの伝記を次から次へと手にしていました。そしてとうとう先生に「もうこれ以上野球の本を読んではいけない」と叱られたのです。

 たしか11歳のときでした。私は「僕が読みたいのは野球の本なんだ」と反論しましたが、先生は「いくら野球についてのレポートを書いても単位をあげない。他の本を読みなさい」と聞かない。私はそのときアンフェアだと思った。これが世の中のjustice(正義、公正)について、考えさせられた最初の体験でした。

 政治や選挙に対する興味も強かったので、テレビや新聞でその種のニュースをいつもチェックしていました。その影響からか、大学生になる頃には将来、政治記者になるか、議員になろうかと考えたくらいです。

私の人生を決めた「4年間」

 でも結局はその道は断念しました。きっかけは21歳のときに、ジャーナリストになることを視野に入れて、「ヒューストン・クロニクル」(テキサスで最大の新聞)のワシントン支局でインターンシップをやった際の出来事です。1974年の夏でした。ちょうどウォーターゲート事件が起きていて、新聞社はてんやわんやでスタッフが足りないほどだった。

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