気高く、生々しい本物の女が、
映像の次元を超えて踏み込んでくる
溝口健二Vol.5

vol.4 はこちらをご覧ください。

 第一映画社の解散後、溝口健二は新興キネマに移籍した。

 同社での第一作が、『愛怨峡』である。

 当時の新興キネマは、安手のメロドラマを量産していたスタジオで、同社で美術助手を務めていた新藤兼人は、「『祗園の姉妹』を撮った溝口でも、ここじゃロクな仕事は出来まい」と考えていたという。

 だが、その予想は完全に覆された。

 『愛怨峡』は、トルストイの『復活』を川口松太郎が翻案したものだが、ちょっと見ただけでは、到底、『復活』が元ネタであるとは気がつかないほど、梗概は変更されている。

 信濃の本陣の跡取り息子の謙吉(清水将夫)は、女中のふみ(山路ふみ子)と恋愛関係にある。ふみは妊娠しているが、謙吉は態度をあきらかにしない。そのうち興行を営んでいるふみの伯父がやってきて、東京に連れ帰ろうとする。

 ふみは、死んだ母親から「伯父さんは、おまえを売り飛ばしかねない」と云われていたため、謙吉をかき口説いて、東京に駆け落ちし、子供を産む。にもかかわらず、ふみがミルクホールで働いている間に謙吉は父親に連れ戻されてしまった。ふみは子供---謙太郎---を里子に預け、カフェ勤めをして何とか子供を育てようとする。そこに現れた、ふみを想うアコーデオン弾きの鈴木芳太郎(河津清三郎)は、女給としての自堕落な暮らしから、ふみを脱出させようと試みる。

 結局、ふみは、鈴木とともに伯父の一座に加わり、謙太郎を連れて巡業をしていくなか、かつて暮らした信州の本陣にたどりつく。本陣の主人となっていた謙吉は、謙太郎とともにふみを迎え入れようとするのだが・・・。

 このように梗概を書くと、どこが『復活』なのか、といぶかしく思われるかもしれない。

 さしたる責任感もなく、ふみを弄んだ謙吉は、『復活』におけるネフリュードフであり、ふみは、カチューシャの役回りを演じている。

 とはいえ、川口松太郎は仕掛けを二重、三重にしかけている。

 たとえば、伯父に慫慂されて、鈴木とふみが、漫才をすることになるというシークエンス。

 近代の漫才は、東京で左翼運動をしていた秋田実が、弾圧を避けるため、昭和九年に関西に赴いたことにはじまる。

 秋田は音曲漫才を苦手としていたコンビ、エンタツ・アチャコのために漫才台本『早慶戦』を書き、大当たりをとった。法善寺花月からはじめてラジオ中継が行われるという成功を収めたのである。

松井須磨子は高らかに哄笑する

 漫才の流行を背景として、川口は、山路と河津に、夫婦漫才をやらせている。このあたりの機敏さ、しかも機敏なだけではなく、何の保障もありはしない旅芸人のあてどなさを描いて、強い説得力を発揮している。

 たとえば、本陣に帰りついたふみが、自分を捨てた、旧夫にたいして切る啖呵の素晴らしさ。

「あたしには、惚れた男があんの。グレたものは、グレた同士の、苦労したものだけが知ってる情があるの。あたしはそれが欲しいの」

 息子のためには、本陣の女主人に収まる事が望ましいとは知りながら、手前勝手に後継ぎを求め、同時にふみをも手許に置こうとする、謙吉の脳天気さ、無責任にたいして、理性の限りを尽くして忍従しつつも、それを貫く事のできない、気高いふみの人間としての尊厳の吐露は、生々しい説得力、理屈を超えた、生理の領域に踏み込んでくる、迫力を蔵している。

 そこには、人形ではない、影絵でもない、一生に一度でも、出来得る事ならば、出会いたいと願うような、本当の、生々しい、肉と情熱で出来上がった、本物の女がいる。

 トルストイの『復活』は、近代日本、特に戦前において、もっとも強い影響力を及ぼした、海外小説であると云い得るだろう。

 『復活』には、貴族であるネフリュードフが、貧しい農奴の娘、カチューシャと、たいした考えもなしに姦淫し、その事にまったく反省を抱かぬまま年月を過ごした後、犯罪者として法廷に引き出されたカチューシャと見えた時の、階級的な良心の呵責をテーマとした小説である。

 その構造自体が、きわめて政治的な構図を帯びているのだけれど、同時にカチューシャとともにシベリアに向うネフリュードフが、アナキズムやサンディカリズム、コミュニズムといった、過激思想に触れるという設定のなかで、そうした新思潮のカタログを提示した、という意味での貢献も大きな意味あいがあった。

須磨子の墓 女優・松井須磨子は、スペイン風邪で死んだ劇作家・島村抱月の後を追って自殺した

 同時に島村抱月の芸術座による『復活』の翻訳上演も、翻訳演劇の歴史の中で画期的な役割を果たしている。

 早くに父を亡くし、母に連れられて芝居を片端から見せられた、劇作家の秋元松代(俳人、秋元不死男の妹)は、松井須磨子が演じたカチューシャの衝撃を、こう書いている。

 「当時みた芝居は歌舞伎が主なものだったが、そこで私の見るものは、すべて無残に恐怖に充ちた世界だった。人が殺され、切腹し、心中する、断末魔の血みどろであり、嘆き悲しむ女たちであり、奇怪な身なりをした男女の踊りである。/新派にもよく行ったが、印象は同じようなものだった。おとな達の話は分らない上に、ここでも女たちは嘆き悲しんで、少しも仕合せそうではない。/それらの芝居の中で、たった一つだけ素晴らしいものを見た。松井須磨子の『復活』のカチューシャだった。

 それがカチューシャだと分ったのは、ずっと後年のことだったが、私の記憶に刻まれた場面は、西洋人の『お姉さま』が、訪ねてきた立派な服を着た男、つまりネフリュードフに烈しい言葉を浴びせ、高らかに哄笑した姿だった。牢獄の場面であろうと思う。私はああいう女性も西洋にはいるのだという愕きと、その素晴らしさに目をみはった。

 しかしそんな『お姉さま』の出てくる芝居は、そのとき限りで、あとはみな日本の悲しい女や、殺される女の芝居ばかりが続いた。私の幼弱な心にとっては、地獄絵のように気味わるいものであり、幼な心にも忌わしい感じだった」(「歳月の中の母」、『戯曲と実生活』)

 病弱のため、進学も結婚も諦めていた秋元は、原稿の清書がかりとして劇作家の三好十郎のもとに出入りし、処女作『軽塵』が認められて戯曲作家となった。

 新派から新劇、テレビ、ラジオのドラマで活躍し、『村岡伊平治伝』で芸術祭奨励賞、『かさぶた式部考』で、第十一回毎日芸術賞を受賞している。

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