松下幸之助 vol.7

松下を呑み込む軍需の波。皮肉にも戦争が技術力を上げた
ドイツの軍需工場第2次世界大戦中のクルップ社の工場。同社の技術は、戦下の日本にも伝わった

vol.6 「深まる戦禍、統制経済下で松下も民衆も困難に直面する」はこちらをご覧ください。

 経済統制とともに、戦時下の松下電器を見舞ったのが、軍需の波であった。

 薬莢を手はじめとして、兵器の生産に手を初める事になったのである。

 もとより、国家が総力を傾けて、大陸でかつてない規模の戦闘を進めていくなか、個々の企業がそれに協力するのは、当然の事である。

 さらに、軍の要求に応えなければ、原材料どころか電気の供給もままならない、という状況も存在していた。

 けれども軍需を請け負うという事は、軍の管理を受ける事でもあり、松下電器のそれまでの経営方針とは異なる形での操業が常態となってゆく、という事でもあったのである。

 社員たちは、従来のように松下幸之助の指示の下で動くのではなく、軍の係官の指図に従う事になった。

 軍需であるから、国家から支払いを受けるため経営は安定するし、軍の指示に従って生産するので損失が生じれば、補償もしてくれる。

 とはいえ、松下にとっては得意の創意工夫を封じられた形になるのだから、随分、味気ない思いもしたことだろう。

 けれど、軍需生産に携わるメリットは、経営の安定ばかりではなかった。

ある松下技術者の回想

 これは前にも記した事だけれど軍需の場合、民生とは比較にならないほどの精度が要求される。その精度を実現するために国費をふんだんに注いで作りあげた技術を、松下電器は得た。その蓄積が、戦後の飛躍を可能にしたのである。

 戦争は忌まわしいものだが、同時に戦争という国家存亡をかけた事態において、科学技術が飛躍的に進歩してきた、というのもまた否定できない事実だ。

 松下電器は軍需に応えるため、その設備を一新し、軍の要求する加工精度を実現し、工程管理を導入したのである。

< いよいよ軍の仕事をやる。私は、自ら提案して、新しい機械を購入した。きわめて精度の高い、三六インチのユニバーサルグラインダー。民需であれば、そこまで精度の高い機械は必要ではなかった。非常に高価であるが、私は、金属工業部の長としての責任において、購入したのだ。ある日、松下社主以下首脳が、見学にこられた。立ちどまり、じっとみておられる。

 (コナイ高イモンガイルンカイ)。先日の上司のことばが、頭にパッと閃く。叱られるかな。だが、ふり向いた大将の目は笑っていた。

『こないなものでこんなにきれいにできるんやな。ええ機械を手に入れたやないか、後藤君』

 面目を施した。ええもんをつくろうやないか。社主の後姿は、私にそれを教えていた。じっと食い入るようにしてグラインダーをのぞきこんでおられる若き日の社主の姿が、不思議に心から消えないのである。

 たしかに軍の納品規格は、厳格をきわめた。百分の一の精度を要求されることも珍しくなくなる。マイクロメーターを使うわけだが、このメーターの器差修正するために、また高価なゲージブロックを買わなければならない。今度は、誰からも文句は出なかった >

(『叱り叱られの記』後藤清一)

 三国同盟の成立以来、日本はドイツからの軍需技術の導入を進めた。

 日本楽器製造(現ヤマハ)の技術者としてプロペラ開発に従事していた佐貫亦男は、ドイツのユンカース社が所有していた可変ピッチプロペラの製造権を取得するため、昭和十六年四月から昭和十八年十一月まで、足かけ三年にわたりベルリンに滞在した。

 その著書『追憶のドイツ ナチス・空襲・日本人技師』は、戦時下のベルリンの貴重なドキュメントとなっている。

 英米軍によるベルリン空襲も体験したし、アウトバーンを自家用車でドライブもし、在ベルリン邦人に特権的に認められていた配給のコーヒー豆―ドイツ人は、フランス人以上のコーヒー好きである―で、車のトランクに積み込めないほどのジャガイモを手に入れたりしている。

 とはいえ、やはり重要なのは技術である。当時、クルップの工場ではわけなく造れた鍛造のクランクシャフトが、日本では製造できず、日本海軍の潜水艦で何百ものクランク軸を日本まで運ぶという有様で、生産技術の彼我の差は大きなものだった。

 一方で佐貫は、戦局が不利になってようやくアメリカ式のベルトコンベアを導入して、戦車を生産しだしたドイツの実態を観て「工場にはいった瞬間、もう勝利の時期は過ぎ去った」と認識したと記している。

 佐貫もまた、潜水艦に託して、何度もユンカース・プロペラの図面を送ったが、一度しか無事に到着しなかったという。その一度も、潜水艦がシンガポールで日本が仕掛けた機雷に接触して沈んだため、濡れた図面しか届かなかったという。

< 私はその後、暗号電報で油圧原動機の歯車の寸法などを知らせた。これだけの資料で私の会社の新妻一郎技師はみごとにユンカース・プロペラを再現した。その調速機は、ユンカースの三分の一以下の寸法重量であった。

 ここに日本技術者の頭脳が見られる。もちろん、工作上ユンカースに及ばない点はある。製品として見劣りがするかも知れない。ことに商品としてドイツ製品とくらべたら、顧客は日本製品を取らぬこともあろう。しかし、物を作った技術者としては、ドイツに勝る点と及ばぬ点、その理由も知っている。それを監督者の立場にある者が顧客のような冷たい気持ちで応援せず、ドイツ製品に品質でも価格でも勝るまで放置するつもりなら、日本は永久の技術殖民地として残るであろう。

 不愉快なできごともあったが、マクデブルク・ユンカースの技術者と事務員たちは面白い連中で、実習もすみ、ホテルの金色の部屋でパーティを開いて騒いで別れた。今は音信もないが、ソビエトで暮らしている人もあるかも知れぬ。何しろデッサウの飛行機工場は技師もろとも、跡形もないという話だから > (『追憶のドイツ』)

 佐貫自身は、無事に着かない可能性の高い潜水艦ではなく、トルコ経由でシベリア鉄道に乗り―日本海で沈没したソ連船の乗員との交換で帰国のビザを得た―、無事帰国することが出来た。

以降 vol.8 へ。

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