松下幸之助 vol.8

迎えた終戦。松下を襲った「財閥指定」と「公職追放」の苦境
獅子文六1893年生まれ。小説執筆の一方、劇作家、演出家としても活躍。庶民の人気を博した

vol.7 「松下を呑み込む軍需の波。皮肉にも戦争が技術力を上げた」はこちらをご覧ください。

 昭和二十年の八月十五日、昭和天皇により終戦の詔勅がラジオ放送された。

 門真本社の社長室で、松下は起立して謹聴した。

 松下以下、社員のみなが涙を流した。その日は解散し、翌日幹部を招集した。

 松下は、敗戦を率直に認めた後、会社の客観的状況について述べた。

 松下の工場は、そのほとんどが大阪の郊外にあったので、大きな被害は受けていない。

 会社には、借金はあるが、それに見合うだけの資金がある。

 人もいるし、物資もある。

 即刻、生産をはじめることが、企業の社会的使命であろう。

 勇躍し、生産がはじまった。が一月して、生産停止が命じられた。

 七つの問題が、GHQから松下電器に課せられたのである。

 財閥指定、公職追放、賠償指定工場、持株整理、制限会社指定、特別経理会社指定、集中排除法であった。

 なかでも財閥指定は、松下にとって不本意なものであった。三井、住友、三菱といった財閥とは、規模も違うし、歴史も違う。徒手空拳から一代で築いた会社なのだ。

「アメリカは日本の財閥を解体するということで、大きな会社はどこどこと指定した。それでは当然、その指定されたものは財閥でなければならない。しかし私のところは財閥と違う。私は自分一代で会社をきずいた。先祖代々やっているわけじゃない。間違ったことはしないと、進駐軍は自分でいっているが、これは明らかに間違いだ。そこで私は辞職しないで異議を申し立てた。もう一ぺん考えてくれというわけだ。

 しかし、異議の申し立ては受付けてくれたけれども、やはり解除してくれない。それから四年半の間に、五十何回も進駐軍に財閥指定を解いてくれと頼みつづけた。しかし、なかなかそれでも解けない」(『仕事の夢 暮しの夢』)

 さらに応えたのは公職追放であった。追放処分を受けた事により、松下は経営に携わる事ができなくなったのである。それは『経営の神様』にとって、不治の病に冒されるよりも、辛いことだった。

追放処分を逃れた獅子文六の胸中

 GHQの追放処分は、旧軍関係者をはじめとして、政治家、官僚、経済人、教育者、言論人などにたいして行われた。

 はじめ占領軍側から仮指定が行われ、後に審査があり追放処分が決定される。結果として追放処分を受けた者は、約二十万六千人に及んだ。鳩山一郎のように、戦時下大政翼賛会への入会を拒んで議席を守りぬいた政治家すら、追放されたのであるから、その厳しさと基準のあいまいさは、大きな問題を含んでいる。

 戦争中、朝日新聞に連載され、大反響を呼んだ『海軍』の著者、獅子文六も追放仮指定を受けた。獅子は真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇で突入した士官をモデルとした小説を「これは戯作ではない」と本名の岩田豊雄名義で執筆した。『海軍』はベストセラーとなり、すぐに映画化され、それまでの興行成績のレコードを塗り替えた。

 しかしその成功は、敗戦後に十字架となった。文筆を封じられる危機に直面したのである。

 だが新聞社が救いの手をさしのべた。圧倒的な人気作家だった獅子は―なにしろ、戦後風俗を活写した『自由学校』は、二社が競合して映画化されたのだ―、新聞にとって大事な作家だ。今日では考えられないほど、新聞小説の存在感が大きかった時代である。

 担当記者は、書類作成の用紙、カーボン、ガラス筆までも用意して、獅子文六に追放指定解除を求める書類を書かせた。

「履歴書だの、著作年表だのというものを、書くのは、面倒くさいが、まだ、忍ぶことができた。一番、苦痛だったのは、本文の異議申立書を、書くことだった。

 異議申立書には、自分は、戦争に協力しなかったということを、書かねばならない。ところが、私は、協力しているのである。私が、『海軍』という小説を書いたのは、国への忠義のために若い生命をささげた一士官に対する、感動からであるが、そんなものを、戦時中に書くということは、戦争に協力しているのである。

 そして、もっと困ることは、その士官に感動したことも、そんな風に戦争協力をしたことも、腹の底で、悪いことをしたと、思っていないのである。(中略)勿論、私は自分が軍国主義者や、超国家主義者であるとは、思っていない。そういう人々を、私は嫌いである。

 その方の異議なら、いくらでも、申立てる理由も、材料もある。しかし、戦争が始まってから、是非、勝たねばならぬと思ったことも、それを行動に表わしたことも、紛れもない事実であって、取消しはしたくない。

 その趣旨で、私は、申立書を書いた。ところが、追放関係に明るい、ある通信社員が、それを検分して、

『ダメですよ、こんな書き方は。対手は、日本人じゃないんですよ、アメなんですよ』

 と、真ッ向から、反対した。

『これが、精一杯なんだ。じゃア、君が書いてくれ給え』

 私は気持が悪くなってきた。そして、彼が書いてきたものは、私が、絶対平和論者で、日本が敗ければいいと思っていたが、軍部の脅迫によって、やむをえず、『海軍』を書いた、という風なことになっていた」(『娘と私』)

 結局、獅子の異議申し立ては入れられて、追放にはいたらなかった。

 獅子の思うに、彼が著作のなかで「聖戦」「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の三つの言葉を使わなかった事、文壇の知己や、出版社の人々、要路の官僚が、獅子についての反証を示したり、占領軍関係者に紹介をしてくれた事があったからだという。フランス滞在が長く、ブルジョワ的価値観に浸っていた獅子を応援する友人はたくさんいた。

 このようにして、追放を逃れた作家は、獅子文六だけではない。高名な作家たちが何人も同様の経緯で逃れている。一方で、火野葦平、保田與重郎らは、追放処分を甘受した。

以降 vol.9 へ。(近日公開予定)

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