なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…

才能か、努力か、それとも・・・・・・
週刊現代 プロフィール

 だが、それはホンのつかの間の輝きだった。以降、古賀が再び柳田本来の投球を目にすることないまま、柳田は3年目の'08年、球界から消えていった。

 その理由を本人が語る。

「子供の頃から高校までずーっと野球漬けの生活で、プロになるのが人生の最終目標みたいになっていたんです。だから、プロに入ったときは解放感でいっぱいでしたよ。練習が終われば外出は自由だし、お小遣いもたっぷりある。ついつい遊ぶことに熱中して、野球の方が疎かになってしまったんです」

 体重はたちまち100kgをオーバーし、豪速球投手の輝きは一気に色褪せた。

「要するに、彼はプロ野球選手である以前に、人間としてまだ子供だったということです」
と言う古賀は、当時を振り返ると、いまでも後悔の念にかられることがある。

「当時のロッテは、バレンタイン監督が主導するアメリカ式の練習法を取り入れていました。要は選手の自主性を重んじる指導をしていたのです。結果だけ見れば、柳田にはそれが合っていなかった。

 もし広島のような猛練習で知られる選手管理が徹底した球団に行っていたら、あるいは柳田はプロとして大成したかもしれないという気もするんですよ」

 もし他のコーチの指導を受けていたら・・・もし他のチームに行っていたら・・・あるいはここに登場した選手たちの運命は変わっていたのだろうか。

 古賀は言う。

「柳田の二つ先輩には、今のエース・成瀬(善久)がいました。入団当時は肘に故障を抱え、彼が3年目になるまで1球も全力投球を見たことなかった。柳田と成瀬で与えられた環境に差はありません。それでも成瀬は今の地位を勝ちとった」

 実力か運か。そこにはコーチとの相性や巡り合わせもあるかもしれない。

 だが、どんな実力者にとっても、「輝き」は得ること以上に、持続することが難しいものだ。

 川之江高時代から、トルネードサイドと言われる独特のフォームで注目された右腕、鎌倉健(26歳・日ハム・'02年ドラフト3巡目)は、入団後、順調に成長を果たし、3年目には先発で7勝を挙げる活躍を見せた。しかしその年に右肘を痛め、手術に踏み切るも完治することなく、'07年に戦力外となった。

「明らかにケアを怠っていました。手術前も、きっと手術後も、甘えがあったんだと思います」

 そんな鎌倉は、当時チームメイトだった球界を代表する2人のスター選手のことをよく思い出すという。ダルビッシュ有と小笠原道大(現巨人)だ。

「ダルなんて年を追う毎に確実に成長していくでしょ。これ以上ないと思っても、更に強く、うまくなっていく。それはダルに限らず、続けている人はそれだけですごいんです。