なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…

才能か、努力か、それとも・・・・・・
週刊現代 プロフィール

 元西武ライオンズの投手・松川誉弘(26歳・港高出身・'03年ドラフト4巡目)は、毎日目の当たりにするスター選手の投球に自信を失っていった。

「プロ1年目は怖いものしらずのイケイケドンドンでした(苦笑)。先輩やコーチもあれこれアドバイスしてくれたのですが、全部試しているうちに腕が思いっきり振れなくなり、球のスピードもなくなった。そのうち、自分で自分の投げ方がわからなくなり、3年目にはマウンドに立つことすら、怖くなってしまった」

 肘の悪化もあり、'07年オフに戦力外通告。わずか4年のプロ野球生活だった。

 

平気で努力し続けるスター

 '95年に、九州学院高からドラ1で投手としてオリックスに入団した今村文昭(34歳・現オリックス打撃投手)は、その入団直後に内野手転向を告げられる。彼のプロ生活は、まさに「自分探しの旅」のようであった。

「5年目のことでした。当時の監督である仰木(彬)さんに呼び出されて、『もう野手はいいだろう。お前はピッチャーの方が合っている。腹を括れ』と言われたんです。こちらとしては『ハイ』と言うしかありませんでした」

 その3年後、今村は野手としても投手としても結果を残せぬまま、最後は投手として戦力外通告を受けている。今村は言う。

「現役時代の僕には、『先を読む』ということができていませんでした。自分で考えていたつもりで、結局行き当たりばったりに生きていた。試合中もボールばかり目で追って、相手の心理まで考えられなかった」

 今村とともにオリックスの一員であった川口は、当時球界のアイドルだったスター選手のことを、今でも思い出す。

「イチローさんが試合の後、どんなに遅くなっても必ずウェイトトレーニングをやっていたんです。田口(壮)さんもそうでした。イチローさんのようにプロである以上、信念をもって自主的に練習する。そういう気持ちが僕には欠けていたんです」

 かつて横浜ベイスターズで二軍監督などを務めた日野茂は、プロで名をなす者には、大きな共通点があるという。

「新人選手は誰もが将来を嘱望されて入ってくるが、誰もがレギュラーになれるわけではない。

 他人より頭ひとつ飛び出すために大切なことは、自分にはプロとして何が足りないのかをいち早く察知し、練習で足りないものを補おうとする積極的な姿勢です。若くして球界を去る者の多くは、何が自分に足りないのか気づけなかった場合がほとんどです」

 日野は、'99年のドラフト1位で、PL学園から横浜入りした田中一徳(29歳)に対しても、「もったいなかった」という印象を持っている。