なぜ僕たちはプロ野球で通用しなかったのか…

才能か、努力か、それとも・・・・・・
週刊現代 プロフィール

 そして安達は悪循環に陥る。一旦崩れてしまったフォームを取り戻すことは二度とできない。あったはずの実力が、どんどん発揮できなくなっていく現実に、安達は投げる気力を失っていく。

「もう全然ダメでした。投げられたものが投げられない。心は折れてしまうし、もちろんドラ1ですから『契約金ドロボー』とか言われてね」

 その後は外野手に転向、投手への再転向と居場所を模索しながら'99年に戦力外通告を受け、引退。現在三宮でバーを営む彼は、「僕はよく見られようとしすぎました」

 という。そしてプロの投手に必要なのは、「天狗でナルシストなことだ」とまとめた。だが、つい昨日まで高校生だった新人選手たちが、一流選手だけが集まるプロの中で自分を確立するには、強靭な精神力が求められる。

 '97年のドラフト会議は、「天狗でナルシスト」という形容がぴったりな、一人の高校生投手に注目が集まっていた。その年の甲子園準優勝左腕、川口知哉(32歳・平安高出身)である。川口の現役時代にバッテリーコーチとして指導にあたった中沢伸二も、
「順調に育てば、間違いなくエースになる器だった」

 とその素質の高さを回顧する。

 

ではそれほどまでのスター候補が、なぜ周囲の期待に応えることなく、現役生活7年という短命に終わってしまったのだろうか。

 現在、女子野球チーム・京都アストドリームスでコーチを務める川口は、意外にも、
「当時の自分には、信念がなかった」

 と答えた。川口も前出の安達と同様、プロ入り直後に受けたコーチの助言がもとで、フォームを崩した経験を持っていたのだ。

「ポリシーを貫く勇気がなかったんです。『嫌だ』と思っても、反対できなかった。内心で納得できないままフォームを矯正するうち、思うように投げられなくなっていったんです」

「自信家」のように見られていた川口も、その内面は、人並みの不安に駆られた18歳だ。中沢は当時の川口についてこのように述べる。

「私の経験でも、自分の主張を貫き通した人のほうが結果を残せている気がします。川口の時は、投手コーチが何度も替わり、彼が混乱する一因になったのは間違いありません。

 しかし、コーチの指導の何を受け入れ、何を切り捨てるかは自分の判断です。その点、川口はあまりに素直な性格をしていました」

自分を見失ってしまった

 ビッグマウスで知られた川口だったが、それもマスコミら周囲に求められるままに発言していた結果だった。