早稲田大学野球部監督 應武篤良「私のピッチャー論」

3人のドラフト1位投手を送り出した伯楽が、
6年間の監督生活を振り返った

6年間も居住した野球部寮の前で感慨に耽る。自宅に帰る際は自転車を利用していたという庶民派の一面も 〔PHOTO〕鬼怒川 毅

 今秋、東京運動記者クラブが早大元総長で現高校野球連盟会長の奥島孝康を通して、ドラフト当日の会見を嘆願しても應武は頑として首を縦に振らなかった。

「3年前から、早慶戦に集中するためにドラフト当日の会見は行っていません。今年は3人がドラフトで1位指名されましたが、それぞれ意中の球団がある中で、結果が三者三様だった。今思い返しても、会見はしなくて良かったと思います。3人の意中の球団? それは言えません」

 国民の目が注がれるスーパースターを抱える状況では、過度な取材から斎藤を守る"嫌われ役"が必要であったことも理解できる。應武も、いくら過保護と批判されようとも、自らが防波堤となることで斎藤を守ろうとした。

「あえて"ブラックデビル"に徹しました。特に最終年は、批判の矢がすべて突き刺さって、義経を守る弁慶のようでもあった。だんだん私もそれに慣れて、いつしか快感に変わりましたけどね(笑)」

 往年のお笑い番組の悪役キャラクターに自身をなぞらえるという意外な茶目っ気をみせた應武は、浅黒い顔をほんのり紅潮させ斎藤を預かる重責から解き放たれた安堵感でいっぱいの表情を見せた。

 今秋の早大は優勝決定戦までもつれたリーグ戦を制し、秋の大学日本一を決める明治神宮大会でも優勝。またドラフト会議では、日本ハムから1位指名を受けた斎藤とともに、大石達也(22)が6球団の競合の末に西武に、福井優也(22)も広島に指名された。同大から史上初めて3人ものドラフト1位選手を輩出し、今季で退任する應武も有終の美を飾った。

球速150km/hのカベ

 斎藤がハンカチで汗を拭い、再試合にまでもつれた駒大苫小牧高との決勝を一人で投げ抜いた '06年夏の甲子園。その時、應武は、早大の系属校である早稲田実業のエースのピッチングを観ながら、「進学となったら、六大学野球も大変なことになるだろうな」と考えていた。

 應武も、プロを蹴って早稲田大学への進学を選択した口だった。崇徳高校(広島)の3年生だった '76年春のセンバツで捕手として優勝し、同年のドラフト会議で近鉄から3位で指名を受ける。しかし、それを拒否して早大に進学。新日鐵時代には、古田敦也の控えとしてソウル五輪の代表にも名を連ね、引退後は新日鐵君津の監督を務めた。そんな彼が、母校・早大の監督に就任したのは '05年だった。

 應武は自身の経験から、早実監督の和泉実に、斎藤の進学を進言した。
「一刻も早くプロに行ったほうがいいという意見もありますが、大学で勉強し、仲間を作ったほうがいい。私はノンプロしか知らないけれど、プロ野球人生を終えた後のほうが、人生は長いんですから」

 斎藤は '06年9月に早大に進学することを表明、 '07 年1月に初めて早大の練習に参加する。100人を超える報道陣が集まる中、斎藤と初めて対面した日のことを應武は忘れられない。