ソーシャルなグッド・コミュニケーションを実現するために
民主党新総理が誕生するいま、あえて問う「新しい公共」とは何か

【PHOTO】SANKEI via getty images

 前回は、2つの送り火---8月11日に開催された「LIGHT UP NIPPON」と同16日の京都の「五山の送り火」---の対比の中で、ソーシャル・グッド・コミュニケーションの要件について考えました。善意故に問われる「責任の所在」がそのテーマでした。

 既に"時効"の域の話ですが、僕がPRの仕事をはじめたばかりの駈けだしの頃、千葉県にある盲学校で子どもたちが音の鳴るボールを使ってサッカーに取り組んでいるという話がありました。ところが、そのメロディボール(蹴ると転がるときに音がなるサッカーボール)が生産中止になるらしいと聞き、このメロディボールの生産継続のためのキャンペーンをやりたい! と僕は考えました。

 そこで、当時、Jリーグのチームスポンサーでもあったクライアントにその企画を持ち込みました。クライアントの企画への評価が上々であったので僕自身は、各方面との折衝・交渉を精力的に進めていました。盲学校の関係者にも大いに期待をしてもらっていました。ただ、クライアントやプロ・サッカー選手との交渉も含め「企画成立」には、まだまだ時間を要する状況でした。(企画成立を「10」とすると「2~3」くらいでしょうか。)

 そんな中で、ある全国紙の夕刊の一面に、企画段階のこの話がニュースとして掲載されてしましました。記事を見た瞬間、僕は凍りつきました。当然ですが、クライアントはじめ関係各方面からのクレームと怒号の嵐でした。

中途半端な善意ほど迷惑を招く恐れがある

 なぜそんなことになったのかというと、企画話を聞きつけた千葉支局の若い記者が、裏付けも不十分なまま記事を書き飛ばしてしまったことがわかりました。しかし、すべては、僕の仕事の進め方の甘さが原因でした。本当にアマチュアだったと思います。当然、記者を責めることもできませんでした。

 結局この企画は何の成果をあげずに、ただ周囲の皆さんを不愉快にして、迷惑だけをかけて終わりました。僕自身はというと、それは相当に落ち込みましたよ。

 以来、仕事とボランティアの線引きを明確にして、一切、仕事に社会貢献的な要素を入れることはなくなりました。それから10数年を経て、たまたま知人からの依頼をきっかけに、2005年頃から少しずつ社会問題に関わる仕事をするようになりましたが、「プロボノ」(プロフェッショナルが無償で社会貢献としてノウハウを提供する)としての自分の立場や覚悟を明確にすることを心がけています。

 ですから、前回、自戒を込めて「中途半端な善意ほど迷惑を招く恐れがある」と言った次第です。

 以前にも、このコラムで書きましたが、人間の心の中には、「自己実現」「自己満足」を望む利己的な欲とは別に、「社会のために」「他者を支援したい」という利他的な貢献欲というものがあります。

 しかし、これまで日本では、この利他的な欲求が真正面から、ビジネスとして捉えられることが少なかったと思います。「善意と無償」という2つの前提に立つボランティア活動、無償の美しい社会貢献という規制概念に押し込められてきたとも言えます。だから、社会貢献活動をビジネスとして取り仕切る経験も知恵も不十分なわけです。

 日本でこれから「ソーシャルで・グッドな・コミュニケーション!」を実現する上での最大の課題はここにあります。

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