松下幸之助 vol.6

深まる戦禍、統制経済下で松下も民衆も困難に直面する
統制経済統制は軍需物資から次第に生活必需品にも及んだ。写真は配給所に列をなす民衆

vol.5「ついに日中開戦。松下電器も平和から軍需への転換を強いられる」 はこちらをご覧ください。

 総力戦体制の進展と踵を合わせて、統制経済の波がひたひたと迫ってきた。

 限られた資源や国力のなか、大陸での戦線を拡大し続けるのは、もとより無理な事だった。

 無理であると云う事は、戦後になってみれば、あまりにも当然の、揺るぎのない結論であるけれど、当時の日本には、政府には、国民には、その無理を無理として受け止める事が出来なかった。

 もちろん、政府、議会、官僚組織、言論機関、アカデミズムから庶民各層において、異論や疑問が呈されてはいたけれども、一度動きだしてしまった戦争機械を停止させることは出来なかった。

 それは、世界の歴史において、何度も何度も見られた光景である。第一次世界大戦も、欧州大国列強の動員がはじまると、戦線の拡大は止められなかった。第二次大戦しかり。戦後のベトナム戦争、湾岸戦争から今日の中東、中央アジアの諸紛争に至るまで、それぞれの性格は著しく異なるものの、一度はじめた戦争は、なかなかに終わらせる事が出来ない。

 一部の指導者、軍人は短期決戦の夢を見るが決着はしない。たしかに満州事変はごく短期に終結したが、それは支那事変から大東亜戦争への呼び水となった。湾岸戦争もごく短い期間で終わったが、イラク攻撃から今日に至るまでアメリカと同盟軍の中東における軍事プレゼンスは、固着し続けている。

 中国本土への大攻勢は、日本経済に大きな負担となった。もともと資源、物資に乏しいなか、軍需の拡大は国民生活に大きな負担を強い、特に産業界の打撃は大きかった。

 昭和十三年一月、軍需物資を確保するため、物資動員計画が決定され、鉄鋼、非鉄金属、ゴム、石油等八部門が統制下に置かれ、四月には電気も統制されている。

 五月には、ガソリンの切符制度が発足、八月には綿、ゴムの価格統制と新聞用紙の制限が行われている。

希望の地ではなくなった満州

 統制下、松下電器の操業も著しい困難にみまわれた。

「私たちとしては、配線器具を続けていきたい。また続けさせなくてはいかん、と思っていた。そのためには、たとえばソケットの内側に銅のネジがついているでしょう、これはベースと呼ぶんですが、それを真鍮(シンチュウ)に変えなければいけない。

 しかし、悪い真鍮を使うと、うまく伸びない。伸ばしていると、パンと割れてしまうわけですね。良質の真鍮の確保がむずかしくなってきたので、今度はアルミに変えようということになった。

 そこで商工省へ行ったり、電気試験所へ通ったりして、苦労してアルミのベースを作った。その間、つなぎとして無理をして銅を手当したものだから、当時の故銅統制令にひっかかって、私が警察に引っぱられてしまったんです。

 私たちとしては、正しいルートで銅を買ったつもりなんですがね。警察で、これは統制令違反や、責任者出てこい、というわけですわ」

(丹羽正治『私のなかの親父・松下幸之助』)

 弱冠二十八歳で常務取締役に抜擢された丹羽は、一日や二日は留置されるものと覚悟をして、守口署に出頭した。書類送検でなんとか無事に、帰ることができたという。

 丹羽はなんとか逃れたが、統制令違反での逮捕者は、夥しい数にのぼっている。

 十五年四月に米穀や味噌・醤油、木炭の価格統制がはじまると、国民生活はいよいよ逼迫し、また歪んだ。

 戦時下の、軍需優先の統制経済は、官僚たちによって作られたさまざまな法と規制によって運営されたが、その体系が肥大すればするほど、市場が機能しないが故の歪みが顕わになり、企業活動、庶民生活を圧迫した。

 規制の肥大は公正を作りだすよりも、損なう事が多く、国民の公徳心を著しく損なうとともに、明日への、未来への健康な信頼を失わしめ、自分だけは、己の家族だけは何とかという利己心を増殖させるだけでなく、利己の裏面に潜む猜疑心を増殖させていく。

「自分だけが、損をしているのではないか、馬鹿を見ているのではないか・・・」

 猜疑の下で、いよいよ道義は腐るとともに流言蜚語が蔓延する。

「二 米穀、木炭等生活必需品に関する流言浮説

『第二回予想高が少ないのは政府が軍需米として取るから故意に減収として発表したのだ』

『内地米は外貨獲得のためドイツに輸出され(中略)加工されているから米は足らぬのだ』

『百姓は統制強化で馬鹿らしいといって田畑を売歩いている』

『米価の吊上策として労力不足を口実に供出米の出荷を渋っている地方がある』

『木炭を買溜している者には当然強制供出命令が出る』

『木炭の次には米穀、雑貨、衣類等と次々に必需品は『切符制、通帳制』になり自由販売機構は改廃されるのだ』

三 中小商工業転失業問題に関する流言浮説

『企画院で目下企画中のものは中小商工業統合による過剰人員は、集団的強制的に北満に移住せしめるものである』

『来年中には転失業者五万人を半強制的に満蒙に移住せしめる』

『軍需工場に行けというが日給一円三十銭では家族が食う事もできぬ。それに比べ大政翼賛会は、一億円の予算だという』(中略)

五 産業機構問題に関する流言浮説

『生活必需品は全部直売制となるから小売業者も来年一月から失業するのだ』

『現在のごとき自由機構は徐々に制限され組合、会社等の集団機構となり自由独立機構は根本的に変更される。会社経理統制令はその顕われである』」

(「経済統制に関する流言浮説」、『思想特報』昭和十六年一月十五日、司法省刑事局より抜粋)

 一連の蜚語を見ると、国民の政府への不信だけでなく、国民相互の不信感が膨満している事が見てとれる。満州はすでに希望の土地ではなく、忌まわしい棄民の場にすぎない。

 同時にこうした蜚語を収集する政府、軍が抱いている国民に対する怯えもまた、見てとれる。
 

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